関わることになった私。

そのシーン撮影時のマル秘エピソード。

監督がガチンコを
舞台上に置きっぱなしで
初めようとしたりして…

冷静に、
「あのー」と指摘したのは、自分です(笑)

監督さん、
テンション高まってて、
ガチンコなんてそっちのけなんだから(笑)

雑情報が画に入り込むことになるのを
未然に防ぎました!

一発OKというわけではなく、
何度か撮影したのですが・・・

なにぶん、
その日の私の体調が体調なだけに
ひきつった顔してたらごめんなさいです。

かくして、
収録は滞りなく終わり、
放送は忘れた頃にありました。

撮影してから、
1年半後。

企画が持ち上がってからを考えると
世の中に出回るまでには
だいぶ時間がかかるものなんだなぁと。


因みに、
カメラ嫌いな話題にも触れましたが、

実は・・・
このドラマ撮影より前のこと

雑誌のお仕事も
ひょんなことから受けたのでした。

あんなに避けてきたのに。

これまた、
希望したわけではありません。

本人の望まぬところで
苦手克服の神が
機会を与えてくれたのでしょうか。

断るのは簡単だけど、
自分が変わるチャンスでもあると考え、
受けてみました。


社会人になりたて期。
地元に戻ったのですが、
想定外に平凡とは言いがたい
人生経験を積みました。

が、
軍資金ためたら、
再び上京する気でいた私。

好きなことをやるべく、
田舎を離れ、都会進出を!と
夢を描いていたのが・・・
まさしくドラマとリンクしました。

そして、
無職のまま上京を果たした後に
放送があったのです。

すみれの花咲く頃」は、
宝塚を目指す女の子ですが

私の場合・・・
あの当時勤めていた高校で
宣言した夢は
未だに夢のままです。

東日本大震災が起きたことで、
私はその夢をいったん置いて、
報道の世界へと飛び込みました。

いつもなら、
新聞も読まなければ、
ニュースも見ない・・・
真逆な人間ですが、

あの時は気になって
情報を得ようと調べたものです。

家族、親戚、福島にいる仲間たち。

地元を離れて、
ただ被災情報など
間接的にしか受け取れないでいることに
このまま何もできないでいるわけには・・・
と心を突き動かされたから。

両親には
放射線量が低いとは言えない場所に
わざわざ来るなと大反対されたけど。

独身女性だった私には
覚悟がありました。

自分の目で、耳で、確かめたい。

福島にいるヒトの声に
耳を傾けたい。

会いに行きたい。

夢を叶えるために離れた田舎ですが、
緊急時に陥り、
引き寄せられるように5年ちょいで
カムバック。

あの時、
私の夢の宣言を聞いた証人となった
高校生や同僚の先生たちは
驚いたと思うけど、

希望のヒカリになればという想いもあり、
大キライなカメラに撮られて
映される側となって戻ったのでした。

私なりのサプライズ

やっぱり、
未だにカメラには映りたくはないし、
苦手なままですけどね(笑)