梅棹忠夫 | パパ・パパゲーノ

梅棹忠夫

 国立民族学博物館の館長室に梅棹先生を訪ねたことがあります。1980年代中ごろか。大きな机の上に、例の「京大カード」を並べて、考えていらっしゃるところにお邪魔しました。


 原稿を依頼しに伺ったのか、いただきにあがったのか記憶はぼんやりしています。お目にかかってぜひお聞きしたい話がありました。それは、「尺貫法」が廃止されて「メートル法」に全面的に移行した1959年か60年ごろ、朝日新聞のコラムにお書きになった記事のことです。


 一尺という長さの単位はおよそ30・3センチで、一坪は、六尺四方、およそ畳2枚分の広さです。法律が変わったからには、従わなければならないから、これからは、1尺も1坪も使わないのは仕方がない。そこで、新しい単位を提案する、というものでした。30・3センチの長さを「1クシャ」とし、畳2枚の広さを「1ボツ」と呼ぼうというものです。その記事を読んだのは、私が中学3年のことですが、おそろしく茶目っ気のある先生だと、感嘆したものでした。せっかく、お目にかかるのだから、その話をいちばんに申し上げました。呵呵大笑なさって、「通産省に叱られましたよ」とおっしゃっていました。


 『モゴール族探検記』という岩波新書は、記録では1956年に刊行されたようですが、私が読んだのは63年、大学生になってからです。紀伊国屋書店の新しいビル(今でもあるあのビル)ができたのがそのころではなかったか。紀伊国屋ホールで、梅棹忠夫講演会があり、聞きにいきました。講演会の前か後かに本を読んだ。モンゴル平原が目に浮かぶような、おもしろい話でした。そのときの感激もお伝えしたはずです。


 お目にかかったのは、それ一度ですが、お書きになるものは、目につくかぎり読みました。『中央公論』によく寄稿なさっていました。「巻頭に載せる論文は、どんなに大家でも11枚半にするよう、私が編集部に言ってそうしてもらった。一息で読める分量はそんなもんです」という意味のことをおっしゃいました。そういうものか、と感心したのを覚えています。


 梅棹先生は、また、日本語の表記法に一家言お持ちでいらして、あるときから、「あるく、みる、はなす、かく」、のように、動詞はすべてひらがなで書くというやり方で一貫しました。エスペランティストでもありました。新聞の訃報は、この二つを伝えませんでしたが、ウィキペディアにはちゃんと載っています。


 『日本経済新聞』に書いた「私の履歴書」をまとめた『行為と妄想―わたしの履歴書』(中公文庫)は、昭和期を代表する碩学の自伝ですが、巻措くあたわざる名著でした。


 7月3日に90歳で亡くなったということです。ご冥福を祈ります。


あじさい        あじさい        あじさい        あじさい        あじさい