遥拝隊長 | パパ・パパゲーノ

遥拝隊長

 この間、地下鉄の連絡道(もちろん地下)を歩いていたら、前を行く営業マンらしい人が、取引先と商売の話をしているようでした。歩きながら、手にはかばんを持っていて、テキパキと話しています。耳にあてているはずのケータイ電話が見当たりません。最近は、ごく小さなマイクが体に取り付けてあって、手ぶらで話ができるもののようです。忙しいのはわかりますが、立ちどまって話をしてもよさそうなのにと思ったことでした。


 路上で、普通に会話しているらしいのに相手が見当たらない、というのは、ケータイ電話の普及以降、ごく当たり前の風景ですが、わたしなどは、いまだに違和感があります。やむなく自分で往来で話す必要が生じると、なるべく人の少なそうな場所を探してしまいますね。


 高校生のころ、6キロくらい先の学校へ自転車で通学していました。車の通る道路をできるだけ避けて、ちょっと遠回りでも、農道を選んで自転車をこいでいました。もちろん舗装などありません。昭和35年から38年まで。戦争が終わって15、6年たったころのことです。


 学校へ行く道すがら、大きな声で、誰かと話しているおじさんを何度も目撃しました。どうも部下らしい人に命令口調で小言を述べているようでした。子ども心にも、気が触れてしまったおじさんらしい、という見当はついていました。


 後年、井伏鱒二の「遥拝隊長」という短編を読んだときに、そのおじさんをすぐ思い出したものです。戦場で片足を失った元将校が、戦争が終わってからも正気に戻ることができず、戦時のまま、皇居遥拝の号令をかける、というような、沈痛な話です。


 会話をしているらしいのに相手が見えない、という状況への違和感は、無数にいたはずの「遥拝隊長」たちへ連想が及んでしまうからのようです。


うり坊        うり坊       うり坊        うり坊        うり坊