水に休らう美しい船
現在練習中の曲は、堀田善衛作詞・團伊玖磨作曲「岬の墓」というものです。昭和38年の作品。混声合唱の原曲を男声合唱に編曲し直したものだそうです。音程をとるのが難しい曲ですが、ハーモニーはじつに美しいものです。ピアノ伴奏が付きますが、伴奏部分も魅力にあふれた曲です。
歌詞の一節に、
きららに光る入り江の青に
休らう 白い美しい船
というフレーズが出てきます。続けて、「水に休らう美しい船」「休らう美しい船よ」と繰り返され、「休らう白い船」が、「海辺の丘の白い墓」と対照されて、生命の飛翔の象徴となっている、そういう詩です。
さて、この「休らう」は、「休んでいる、動かずにたゆたっている」というほどの意味でしょうが、問題は発音です。「ヤスロー」と読む。「ヤスラウ」と読みたくなりますが、そうではない。現代語の詩なのですが、この語は古語の響きを残していますから、昔からそう読んだように読むほかありません。
室生犀星作詞・磯部俶(いそべ・とし)作曲の「ふるさと」という曲の出だしは、
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
ですが、ここの「思ふもの」「うたふもの」も、「オモーモノ」「ウトーモノ」と読むし、歌でもそう歌います。
ただ、「あう・おう」という母音連続が、必ず「おー」と読まれるか、と言えばそうでもない場合もあるようなので、個別に覚えるしかないのかもしれません。こころみに「~らう」となる動詞で、名詞を形容しそうなものを書きだしてみます。
はじらう(恥じらう)・さすらう(流離う)・とむらう(弔う)ためらう(躊躇う)・わらう(笑う)・ならう(習う)・もらう(貰う)
これらは、どれも「らう → ロー」となりそうもない。かろうじて「さすらう」が「サスロー」となるかもしれません。マーラーに「さすらう若人の歌」という、バリトン独唱付きのオーケストラ曲がありますが、これも「サスローわこうど」とは言わないと思います。
「さまよう(彷徨う)」は、詩の言葉としては、「サマヨー」と読むのが普通じゃないかしら。でも、井上陽水作詞・玉置浩二作曲の「夏の終わりのハーモニー」では、「夜空をたださまようだけ」というところを、明らかに「サマヨウ」と「ウ」の発音で歌っています。
磯部俶作曲の「ふるさと」と「夏の終わりのハーモニー」をリンクしておきます。
歌詞の一節に、
きららに光る入り江の青に
休らう 白い美しい船
というフレーズが出てきます。続けて、「水に休らう美しい船」「休らう美しい船よ」と繰り返され、「休らう白い船」が、「海辺の丘の白い墓」と対照されて、生命の飛翔の象徴となっている、そういう詩です。
さて、この「休らう」は、「休んでいる、動かずにたゆたっている」というほどの意味でしょうが、問題は発音です。「ヤスロー」と読む。「ヤスラウ」と読みたくなりますが、そうではない。現代語の詩なのですが、この語は古語の響きを残していますから、昔からそう読んだように読むほかありません。
室生犀星作詞・磯部俶(いそべ・とし)作曲の「ふるさと」という曲の出だしは、
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
ですが、ここの「思ふもの」「うたふもの」も、「オモーモノ」「ウトーモノ」と読むし、歌でもそう歌います。
ただ、「あう・おう」という母音連続が、必ず「おー」と読まれるか、と言えばそうでもない場合もあるようなので、個別に覚えるしかないのかもしれません。こころみに「~らう」となる動詞で、名詞を形容しそうなものを書きだしてみます。
はじらう(恥じらう)・さすらう(流離う)・とむらう(弔う)ためらう(躊躇う)・わらう(笑う)・ならう(習う)・もらう(貰う)
これらは、どれも「らう → ロー」となりそうもない。かろうじて「さすらう」が「サスロー」となるかもしれません。マーラーに「さすらう若人の歌」という、バリトン独唱付きのオーケストラ曲がありますが、これも「サスローわこうど」とは言わないと思います。
「さまよう(彷徨う)」は、詩の言葉としては、「サマヨー」と読むのが普通じゃないかしら。でも、井上陽水作詞・玉置浩二作曲の「夏の終わりのハーモニー」では、「夜空をたださまようだけ」というところを、明らかに「サマヨウ」と「ウ」の発音で歌っています。
磯部俶作曲の「ふるさと」と「夏の終わりのハーモニー」をリンクしておきます。