訓読 | パパ・パパゲーノ

訓読

 このあいだ紹介した『孤高』という本に、訓読(くんどく)と訓読みとを混同したような記述があって、ちょっと気になっていました。


 いつも引く『明鏡国語辞典』ではこうなっています。


 くんどく【訓読】①漢字をその意味に当てた日本語の読み方で読むこと。「春」を「はる」、「夏」を「なつ」と読むなど。訓読み。⇔音読 ②漢文に訓点をつけ、日本語の文法に従って読み下すこと。


 私の語感では、①と②の記述が逆になります。「訓読」と言えば、「漢文の訓読」が思い浮かぶ。


 学びて時にこれを習う、またよろこば(説)しからずや。


と読むのを、訓読というのではないかなあ。


 『論語』には、


 学而時習之、不亦説乎


とあるだけですから、訓点(返り点や、一、二、上、下など)をつけて、日本語として読めるように、昔から工夫してきたと教わりました。これを、音読みにして、


 がくじじしゅうし、ふえきせつこ


と読むことはありません。対語として「音読」が出ていますが、「音読み」のことを「音読」というのは初めて知りました。「おんどく」というのは「黙読」に対するもので、「声に出して文章を読むこと」が普通の用法です。


 大野晋先生が編纂した『角川必携国語辞典』という辞書では、漢文訓読のことが先に出てきます。次に「訓読み」のことも出てきますから、「訓読」にはその意味もあるようです。今日調べた5種類ほどの辞書のどれにも出てきます。狐につままれたような思いがしています。


ヒヨコ        ヒヨコ        ヒヨコ        ヒヨコ        ヒヨコ