濫觴(らんしょう) | パパ・パパゲーノ

濫觴(らんしょう)

 「濫觴(らんしょう)」とは、「物事の初め、起源」を意味する熟語です。「觴」は「さかずき」、「濫」は「あふれる」あるいは「浮かべる」という意味なのだそうです。「アルピニズムの濫觴」「南部藩蘭学の濫觴」などと使われる。「鉄板焼きの濫觴」というのもグーグルでは見つかりますが、これは適切かどうか。


 もともとは、揚子江のような大河も、その初めは「盃からこぼれる程度の水量であった」あるいは「盃を浮かべる程度の水量であった」ということを、これもやはり孔子様がおっしゃったのだそうです。偉い人なんですね。弟子が正装に威儀を正して孔子の前に出てきたのをいさめた言葉なんだそうです。初めは質素にしなさいね、という教えなんですね。外見ではなく中身で人を感心させる人間になりなさい、ということでしょう。いやな先生ですね。


 そういう故事から離れて、「濫觴」は、一般に「物事の始原」を指す言葉として使われてきました。


 「始まりはどうだったのか」という興味は誰にでもあります。それが分かると、物事の理解が深まったような気になるからでしょうね。


 ただし、実際の河川の水源を指して「濫觴」とは言わないようです。


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