前田幸市郎
指揮者、前田幸市郎先生が亡くなって、もう20年になるそうです。中学生から高校生のころ、ラジオでNHK交響楽団の演奏があると、時折「指揮は前田幸市郎さんでした」とアナウンスされました。自分の本名とよく似た名前なので、強く印象に残っています。
大学生になって合唱団に入団しました。そこの常任指揮者が前田先生なのでした。身長はそんなにない方ですが、洗練された指揮振りに魅了されました。学生の出す声は、まあガサツで、響きもよいとは言えません。西洋の宗教曲(ミサやレクイエム)をよく歌いましたが、「ガナリ声」で歌う曲目ではありません。ところが、フォルテやフォルティッシモになると、どうしてもリキんでしまい、きわめて非音楽的な発声になります。
前田先生は、そんな若い者たちにもわかる比喩を使って、さまざまな指示を与えてくださった。「ここは、上等なタオル、君たちが使うようなものではない、上等なタオルを、熱い湯から引き上げてゆっくり絞るように」とか、「ここのピアニッシモは、そんな弱々しい音ではないよ。遠くで鳴っているフォルテの音が、この場には小さく聞こえている、そんなふうに歌って」とか、他にもたくさんありました。
もうひとつ、音楽を作る上での一番重要なポイントも教えていただきました。「ピアノの音が、はじめにどんなに強く叩いても減衰していく、そんなふうに声を出してみよう。人間の発声は、はじめに出した音を次第に大きくすることもできるけれど、そうしないで、初発の音が最大であるように歌う。」素人の発声でも、そのように心がけるとなんだか品のいい音楽ができてくるようでした。
日本での初演を前田先生の指揮で歌ったと伝えられる、ルイジ・ケルビーニという、パリやウィーンで活躍したイタリア人の作曲家(ベートーヴェンの同時代人)の「男声合唱のためのレクイエム」を含む三曲(他にフォーレの「レクイエム」、シューベルトの「ミサ2番」)がプログラムの追悼演奏会が、今年9月13日(日)に、紀尾井ホールで開催されます。指揮は、前田先生の令息・前田幸康さんです。1月から、ケルビーニの練習が始まりました。私が大学生になって初めて歌った曲です。
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