玄之又玄
小学生のころ、習字を習いに近所の先生のところに通っていました。学校でも習字の時間があったと思います。自分で硯に墨を磨って、筆で字を書く。漢字から始めるのでした。かなは、ついに毛筆では書いたことがありません。【訂正:これは言いすぎ。最初は「はる・なつ・やま・かわ」などのかな文字を書いていたのを思い出しました。】
どこで買ってもらったものかは忘れましたが、長さ10センチくらい、幅3センチ、厚み1センチほどの墨の、表面に「玄之又玄」と金色で文字が彫ってあるものが、ちょっと上等だった記憶があります。「げんのまたげん」というのは、だから、墨の銘柄だと長いこと思いこんでいました。
どんな文字を書いたか、もう忘れていますが、「千字文(せんじもん)」から、適当に選んだ4文字が、書道雑誌の手本として掲載されていて、それを見習って半紙に書いて先生に提出し、先生がまとめて、雑誌に送っていたもののようです。隣の町に有名な書家がいらして、その方が顔真卿(がんしんけい)そっくりの文字を書いた。看板や、酒のラベルの文字は、その書家に依頼したらしく、当時はその街中、顔真卿だらけでした。
「玄」という字は、「黒い」という意味なんですね。「玄之又玄」というのは「黒いが上にも黒い」ということでしょう。墨の名前にはぴったりです。というようなことは、ずっと後になって知ったことです。青春・朱夏・白秋・玄冬、という四季と色との組み合わせも、あとで知りました。
「千字文」というのは、ずいぶん昔(6世紀)からある、文字の稽古のための詩文なのだそうです。日本にも早くに伝わり、8世紀にはあったことが確実なのだそうです。「天地玄黄 宇宙洪荒(てんちげんこう うちゅうこうこう)」と始まる。「天は黒く、地は黄色、宇宙はものすごく大きい」というほどの意味らしい。
『老子』という本を読んだことがなかったので、渡部昇一・谷沢永一『老子の読み方』(PHP)というのを買ってきました。そうしたら、「玄之又玄」という字句は、「老子」の第一章にあるんですね。墨の名前はそれから採ったものでした。
玄之又玄 衆妙之門
(それは玄の又さらに玄なるものである
それはあらゆる妙の門である)
万物の生ずるところを「門」と言っているようです。
ネットで調べてみたら、「玄之又玄」という名前の墨は1000円くらいで買えるようです。本格的な墨になるとすぐ1万円、ものによっては3万円以上もします。