記憶
池谷裕二(いけがやゆうじ)・糸井重里対談『海馬』(新潮文庫)は、記憶をつかさどる脳の中の器官「海馬」をめぐって、池谷先生(と言ってもまだおそらく30代)から、糸井おじさんが講義を受けるかたちで進行します。糸井さんの生徒役が上手なので、先生も乗って話している様子が伝わります。
海馬が駄目になると、記憶が取り出せなくなるのだそうです。アルツハイマー病が一番多く発見される部位でもあるという。ところが、海馬はたしかに記憶を差配する器官ではあるが、記憶の貯蔵庫ではないらしい。脳の他のいろいろな場所に記憶の入れものがあって、そこにしまったり、そこから取り出したりする役目を海馬が担っているのだという。銀行の窓口のようなものかと理解しました。倉庫はそばになくてもいいし、同じ建物(この場合は部位)に備えつけてなくてもいいということのようです。つまり、記憶が、実際はどこにどんなふうに貯蔵されているかは、まだまだ分からないということです。
ここからは私の思いつきです。
自分が思い出せる最初の出来事は何であるか、という、よくある質問があります。三島由紀夫は、産湯をつかったタライのふちを覚えていると書いたことがあったと思います。そういう人もいるでしょうが、たいていは、4歳くらいに怪我をしたとか、熱を出したとか、というあたりから記憶が始まるのではないでしょうか。
私はいま64歳ですから、濃淡の差はあれ、ほぼ60年分の記憶が、脳のどこかに納まっていることになります。当り前のことですが、大部分はあとかたもなく忘れています。おととい昼飯に何を食べたかさえ最早忘れる年になりました。
しかし、鮮明に思い出せる記憶は、50年前のものであれ、10年前のものであれ、場所・光景・音・匂いなど、ほぼ同じ強さでよみがえります。だから恥ずかしい記憶が、前触れもなくよみがえった時など「ワッ」と叫びだしたくなるのです。脳の中のどこだかは分かりませんが、1ヶ所にまとまって折りたたみ状になっているのではあるまいか。あるいは、平べったいソロバン玉のようなものが何個も1本の棒に重なっているような感じです。記憶の倉庫からその玉がはじけ飛んで出てくるようなイメージです。
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