西江雅之 | パパ・パパゲーノ

西江雅之

 西江雅之先生(1937-)は、長く早稲田大学で文化人類学を教えていらっしゃいました。アフリカの言語(たしか「スワヒリ語辞典」を独力で作ったはず)にくわしい方ですが、何語であれ短時間に習得してしまうという、伝説的な才能の持ち主として知られています。
 
 エッセイ集『花のある遠景』(初版、せりか書房、1975、その後福武文庫、旺文社文庫など)で示したみずみずしい、透明感のある文章が強く印象に残っています。去年も新刊のエッセイ集が出ました。
 
 吉行淳之介を聞き手にした『サルの檻、ヒトの檻―文化人類学講義』(朝日出版社、1980)も忘れがたい本でした。
 
 2冊とも、先年亡くなった
中野幹隆 さんの編集です。
 
 『サルの檻』の冒頭、西江先生はこういう話をします。「食べられるものと食べ物とは違いますね。」吉行さんが身を乗り出すと、「まず、吉行さんも食べれば食べられるけれど食べ物ではありません。ここに同席している速記者も食べられるけれど食べ物ではありません」と、いきなり、人肉は食える、と言って驚かします。そして、何十年か前に、エチオピアで起きた飢饉の話に移る。当時の(今でもそうなのかもしれませんが)エチオピア人にとって、魚は食べ物ではなかったらしい。池や沼に、魚がウジャウジャ泳いでいるのに、池のほとりで何人もの餓死者が出たのだそうです。この本どこかで文庫にしないかしら。
 
 『マチョ・イネのアフリカ日記』(新潮文庫)は、アフリカ(サハラ砂漠?)を、売春婦ふたりと旅行する話でした。頼もしい用心棒役に徹したようで、イロケ方面のことは何ひとつ出て来なかったと思います。


 『ヒトかサルかと問われても』(読売新聞社、1998)というのは、自伝的な作品。お会いして話をしたことが何度かありますが、ごく穏やかな話し方をする、ものすごく物知りのおじさんでしたが、この自伝を読むと、東京に生まれた人とは思えないほど野生的な人生を歩んできたことが分かります。
 
 私は中学1年のとき、NHKの「基礎英語」を聞いて勉強したのですが、そのときの講師・西江定(さだむ)先生は、雅之先生の父上です。


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