キオスク | パパ・パパゲーノ

キオスク

 毎日乗車するJRの駅ホームの売店(キオスクという名前になって久しい)が、最近店じまいしてしまいました。前は改札口の前にもあったのが、そこは拡張して2年くらい前だったか、「ニューデイズ」というコンビニに変わりました。


 週刊誌や『文藝春秋』などは、キオスクで買っていたので、なんだか不便になりました。ニューデイズでも雑誌は売っていますから、そこで買えばいいようなものですが、レジが二つもあるのに、客の行列が短くならない。以前のお店で、おばさんが一人で切り盛りしていたときのほうが、客捌きが手早かったように思えて仕方がありません。キオスクもニューデイズも、会社は同じだそうですから、営業方針の変更なのでしょう。売り子のおばさんたちが退職してしまうと、応募してくる人がなくなって、やむなく店を閉めてしまう、という記事を読みましたが、本当かしら。たしかに、駅のコンビニにいる店員さんは若い人が多いけれど。
 
 キオスクは、売店の機能としては画期的なものだったことが今にして分かります。雑誌以外にそこで買ったものを思い出しても、タバコ、のど飴、ジュース、のし袋、電池、ティッシュ、マスク、など、たくさんある。みんなコンビニにもあるから、そっちで買ってくれ、ということなのでしょうね。不便だという声がJRには届いていないのか。
 
 キオスクというのは、英語 kiosk から来たもののようです。その前はフランス語 kiosque、さらに前はトルコ語 kioshk、さらにさらに前はペルシャ語 kushuk。もともとの意味(ペルシャ語、トルコ語)は「宮殿」。それが、「あずまや」になり、「可動式建物」になって、「売店」をも指すようになったものだそうです。
 
 「キオスク ランボオ」というつながりをかすかに記憶していますが、いまネットで調べたら、それは「キオスクにランボオ」という語句で、富永太郎の詩の書き出しでした。詩全体も出てきますが、読んだ覚えのないものでした。誰かに聞いて、その響きだけ記憶に残ったらしい。


おひつじ座        おひつじ座        おひつじ座        おひつじ座        おひつじ座