できそこないの男たち
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)をはじめ、『プリオン説はほんとうか?』(講談社ブルーバックス)、『もう牛を食べても安心か』(文春新書)など、分子生物学の最前線の成果を、素人が読んでも(と言っても注意深く読まないといけませんが)分かるように書くことのできる、稀有の学者、福岡伸一教授の新しい新書のタイトルが『できそこないの男たち』(光文社新書)です。
「できそこないの」の「の」は、いわゆる同格の「の」です。すなわち、「できそこないである男」という意味。「いちにんまえの男」がどこかにいて、「あなた、あなたはできそこないなんですよ」、と言われているのではありません(からご安心ください、とも言えないけれど)。何ができそこなうと「男」になるか、といえば、もちろん「女」です。アダムの肋骨からイブができた、というのは、生物学的には間違いである。ボーボワールの『第二の性』の有名なテーゼ、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というのも、したがって大きな間違いだ、と説かれる。「人は男に生まれるのではない、男になるのだ」。
ヒトの場合のみならず、アリマキも、マウスも、牛も、要するに生命の基本仕様は女である、ということが有無を言わせない行論で展開されます。アリマキについて書かれた数ページなぞ、抒情的な美しさに満ちていると言ってもいいくらい。
男は、オシッコと精子とが、同じ管から出てくるわけですが、それはなぜか。神様が設計を間違えたのでもなんでもないんですって。基本仕様のカスタマイズの過程で、そうならざるをえなかったということを、初めて知りました。「君は昨日読んだ本が、人生の中で一番面白かったって、何度も言うんだね」と何度も言われたことがあります。今日も言わなければなりません。まったく知的刺激に満ちた1冊です。「弱きもの、汝の名は男なり」という章もあります。じつは、いまそこを読んでいる途中なのですが、おもしろさのあまり、まず、知らせなくちゃと思った次第です。
週刊文春でも毎週コラムを書いてらっしゃいますが、この先生、ハードサイエンティストにしておくのがもったいないくらい、文章が上手です。
![]()