月月火水木金金 | パパ・パパゲーノ

月月火水木金金

 「月月火水木金金」というのは、休日(の土日)を返上して勤務に精励することを言いますね。同名の軍歌(1940;昭和15年)によって広まったそうです。ミレミファソーミ ソミソードというメロディーで終わるこの歌を、どこで覚えたのか、40年前くらいから知っていました。
 
 土曜日は、週休二日制が定着した1980年代以前は、午前中だけ学校の授業や会社の仕事があり、午後からは休み、いわゆる「半ドン」でした。その午後の休暇および日曜の休日もなしに働きづめに働いた、働かされた、のを受けてできた軍歌のようです。直前の歌詞は「海の男の艦隊勤務」となっていました。
 
 この前書いた、大野晋先生 の自伝的エッセイ『日本語と私』のなかに、このフレーズが出てきました。
 
 橋本進吉教授という先生の、万葉集を題材にした、奈良時代の国語についての演習の授業を語る場面でこの言葉が使われます。大野先生が出席なさったのは、昭和10年代初めだろうと思います。その演習は、木曜日の1時間目だかに行なわれる。その1時間(実際には90分か?)の授業の準備のためだけに、そのほかのすべての曜日を勉強にあてたのだそうです。こんどこそ、橋本先生の鼻を明かしてやれる、そのくらい十分な予習ができたと、意気込んで出席しても、授業が終わるころには、完膚なきまでにたたきのめされたように感じた、と、(もちろん感謝と尊敬の気持とともに)恩師の学問の高さを語っていました。
 
 一字一句を丁寧に読み進める授業というものを、少しだけ経験したことがあります。いわゆる「原書講読」というものでした。図書館にしかない辞書を何種類か調べて授業に備えていましたが、外国語の力がそもそも不足していたので、文章の意味するところが、いつも霞がかかったようで要領を得ずに終わりました。「あのときもっと勉強しておけばなあ」と、その後の人生で何度か思ったことでしたが、まあ、それも実力のうちだったのだと、今ではあきらめています。


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