畏友 | パパ・パパゲーノ

畏友

 勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さんのメルマガ(これが滅法おもしろい)の中に、「畏友である作家の東良美季さん」というフレーズが出てきました。東良美季(とうら・みき)という作家は読んだことはありませんが、勝谷さんが日頃その文章のうまさを褒めている人です。


 東良さんが、歳おいくつかも知りません。勝谷さんはたしか今年47歳とおっしゃっていたような気がします。まあ、そのあたり。ここで「畏友(いゆう)」と書いているのは、「尊敬する友人」の意味でしょうね。ちょっと違和感があったので、手元の辞書を引いてみました。国語、漢和あわせて4冊、たまたまあった辞書ですが、なんと、すべて「尊敬すべき友人;畏敬すべき友人;また、自分の友人の敬称」のような語釈でした。1963年初版の『岩波国語辞典』でも、「尊敬する友;自分の友の敬称」ですから、ずいぶん前からこういう意味で使われてきたのでした。私も、そういう使い方をしていたかもしれません。


 しかし、やはり違和感が残ります。「畏友」というのは、ただ「尊敬する友人」というばかりではなく、その友人が話し手より若い、という含意がありませんか? それも2,3歳ではなく10歳くらい若い。もう一つは、この言葉は、友人、若い友人というけれど、その友人が女である場合には使わない。使ったのを見た覚えがありません。私ごときが見た覚えがないだけで、たとえば、中村うさぎさんが、倉田真由美さんを指して「我が畏友クラタマ(倉田さんのニックネーム)」などと書いているかもしれませんが。


 谷沢永一・渡部昇一『人生は論語に窮まる』(対談、PHP、1997)の中で谷沢先生はこう断言していらっしゃいます。


 「後生畏るべし」から、自分より若い友人を指していう「畏友」という言葉が出ています。/この「畏友」もよく間違って使われています。たとえば渡部さんは私より一つ歳が下だけれども、ほぼ同年輩といっていい。そこで私が渡部さんを「畏友」といったらどうか。これは失礼になります。/「畏友」とは歳がある程度若い人に対して使う言葉なのです。


 私の「違和感」は、ずっと前にこの本を読んで記憶していたためだったようです。ついでながら、『論語』でこの文句が出てくるのは、「子罕(しかん)第九――二二七」です。


 子曰く、後生畏るべし。いづくんぞ來者の今にしかざるを知らんや。


 PHPの本が引用している宮崎市定による翻訳は、「子曰く、若い学徒に大きな期待を持つべきだ。どうして後輩がいつまでも先輩に及ばないでいるものか」というものです。


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