アカシアの
木田元先生は、日本語でも哲学の文章が書けるという(それ自体当たり前のはずだった)ことを、たくさんの翻訳書や、ご自身の著述でも示した、稀有の学者です。ということをあらためて言いたくなるほど、哲学書の日本語は難解なものが多かった。
その木田先生が、愛読(愛唱)してきた詩のアンソロジーに、『詩歌遍歴』(平凡社新書)というのがあります。北原白秋の「小唄振り」の詩がお好きだと書いていらっしゃいました。たとえば「紺屋(こうや)のおろく」。
にっくい(憎い)あん畜生は
紺屋(こうや)のおろく
猫を擁(かか)へて夕日の浜を
知らぬ顔してしやなしやなと
白秋の詩では、これは小唄振りとは言わないか、「片恋」も引用されています。
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
かはたれの秋の光にちるぞえな。
片恋の薄着のねるのわがうれひ。
曳舟の水のほとりをゆくころを。
やはらかな君が吐息のちるぞえな。
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
「片恋」は、白秋の詩集『雪と花火』所収の作品。
じつは、このふたつの詩に、多田武彦が作曲した男声合唱曲があります。(多田武彦は、他にも北原白秋の詩を使ってたくさんの名曲を作曲しています。)むかしむかし歌ったことがありました。メロディーも覚えています。YouTube で探したけれど残念ながらみつかりません。
若い頃は歌詞の意味を深くも考えずに歌っていたということが、年をとってから読み直すとよく分かるものですねえ。「昔はものを思はざりけり」という次第です。
ところで、アカシアといえば、我々の世代は、西田佐知子(関口知宏の母上)の歌「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい」を思い出します。白秋のも、西田佐知子のも、植物分類上は「ニセアカシア」という種類なんですって。「秋の光にちる」アカシヤは、金色の花だと思い込んでいましたが、光を受けて金にも赤にも見える、ということなのでしょうか、よく分からなくなりました。「ニセ」なしの「アカシア」は「ミモザ」のことだとウィキペディアには書いてあります。それだと「金」にピッタリですが、季節が合わなくなります。ご存じの方教えてください。
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