完全原稿
印刷にまわすために用意する原稿は、手書き原稿の時代から「完全原稿」と呼びならわしてきました。著者に対しても、「原稿は完全原稿でいただきたい」と申し上げたものでした。これは、メールで入稿する現代でも同じです。ワープロで打ったデータをフロッピー・ディスクで頂戴していた、ちょっと前の時代でも同様。
「完全原稿」の「完全」は、しかし、「完璧」という意味ではありません。そんなことはありえない。「金甌無欠」という言い方がありますが、どこをとってもひとつも欠陥がなくて、そのまま印刷すれば即商品になる、実用に耐える、という意味だと思っている人もいるようです。
昨夜たまたま聞いたラジオ番組の進行係の人(最近はパーソナリティというようです。英語でも)が、「完全原稿」をそう理解しているらしい発言をしました。その番組の構成作家の書いた原稿をただ読むだけでは臨場感が不足する、ということを言うために、「作家さんが書いた完全原稿でも、読むときに言い方を変えたり、思いついたことを付け加えたり、そういう工夫を加えてリスナーに気持ちを届けているんだ」という趣旨のことを言っていました。
印刷物で言う場合の「完全」は、必要なものがひと揃い全部そろっていること。抜粋ではない、全体のうちの5分の4とかではないこと、を意味します。英語でも「コンプリート・マニュスクリプト」と言うらしいのですが、その場合でも意味は同じです。
野球で「完全試合」という場合は、味方が相手チームを(誰も1塁ベースを踏ませず)全部アウトで押さえ、27人で試合を終わらせて勝ったたときの試合を指します。英語でいえば「パーフェクト・ゲーム」。これなら「完璧」の意味でしょう。
どうも、「完全原稿」は「完全試合」と同じように理解されてきたらしい。
じっさい、「完全原稿」と言っても、綿密な校正作業を欠かすことはできないのです。雑誌や書籍に限らず、映画の字幕(にもじつに誤植が多い)や、ウェブサイトの記事(にはもっと誤字・誤植がある、日本語でも英語でも)の場合も、編集・校正の過程はないがしろにすることはできません。気をつけて書いているつもりでも、このブログでも、しばしばあやまちに気がつくし、読者からもご指摘を受けます。自戒すべきことにこそ。
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