共鳴 | パパ・パパゲーノ

共鳴

 「共鳴する」という語は、「ケインズとハイエクとを比べたら、今ならハイエクの説により強く共鳴する」「ガンジーの非暴力主義に共鳴する」などのように、「賛成する、同意する、共感する」などの同義語として使われます。


 しかし、「共鳴」(レゾナンス= resonance)は、もともとは物理学の用語です。舌がもつれるかもしれませんが説明してみます。物体にはそれぞれ固有振動数というものがある。外からその振動数と同じゆさぶりをかけると、揺れ幅が大きく増える、その現象を「共鳴」と言うのだそうです。振動なので、「共振」と呼ぶ場合もあります。
 
 地震で、震度とかマグニチュードとかが同じでも、被害の大小が大きく違う場合がありますが、揺れ方の条件が、(不幸にして)その場所の固有振動数に近かったりすると、大きな被害をもたらすことになるのだという。
 
 ギターの開放弦が、さわってもいないのにふるえて音が出る場合があるそうですね。これも、弾いている弦の振動に「共鳴」する結果です。使わない指で軽く押さえてミュートをかける必要がある、と、ギターの弾き方初歩に説明されます。私はギターが弾けませんから、これは受け売りですが。
 
 この、物理学的「共鳴」を、意識せずに実現しているのが、ヒトの音声ですね。声帯自体のオトはそんなに大きくはないのに、口腔が「共鳴箱」になって、オトが大きくなり、他のヒトの耳に届く。歌の場合も、身体全体を共鳴箱にするように、などと教えられます。具体的にどうするのかは分かりませんが。
 
 八木重吉の詩「素朴な琴」は、物理現象を主題にしたものではありませんが、「共鳴」という事態の文学的表現として比類がないものだと思います。
 
 この明るさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美くしさに耐へかね
 琴はしづかに鳴りいだすだらう


カメ        カメ        カメ        カメ        カメ