高所恐怖症 | パパ・パパゲーノ

高所恐怖症

 養老孟司先生の対談集『生の科学、死の哲学』(清流出版)のなかでこんなことが述べられています。
 
 よく「飲む・打つ・買う」と言いますね。飲むは酒、打つは博打、買うは女。西洋では「酒・女・歌」と言って一カ所違う。博打と歌の共通点はなんだろうか。ギャンブル好きの人に、博打の本質は何かと聞いたら「めまいだ」と。

…めまいも歌も両方とも耳です。陶酔感覚は耳がいちばん強い。…生物の進化上、音が聞こえるようになったのは耳ができたずっとあとですからね。…それ以前は三半規管です。だから、めまいのほうが由緒正しい。…
 
 クラクラッとする事態を「目まい」と言うわけですが、耳の守備範囲なのに、なぜ「目」というのでしょうね。
 
 高いところに上ったときにもめまいがします。これも快感なのか不快なのかよくわからないと言ってらっしゃる。
 「高所恐怖症」というのがありますね。私は、子どものころも、大人になってからも、高いところに立っても平気でしたが、おそらく50歳を過ぎたころから、駄目になりました。
 
 よく、西洋の教会の屋根の上に、聖人の像の彫刻が飾ってあります。それを、上空から撮影した画像を目にするだけで、背中がサワサワしてきます。その教会が崖の上に立っているのもありました。思い出しただけでも震えてきます。ミラノのドゥオーモの屋根の上に、下から見るととがった槍のようなものが何本も見えます。写真をよくよく見たら、何人もの坊さんたちの像でした。そうと分かるとゾーッとしてきました。
 
 音楽のもたらす陶酔感と、高いところに立つ恐怖感とが、同じ器官のはたらきであるところが面白い。


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