大森荘蔵 | パパ・パパゲーノ

大森荘蔵

 『文藝春秋』9月号の特集「日本の師弟89人」の中で、中島義道(よしみち)・電気通信大学教授(哲学者)が、大森荘蔵(しょうぞう、1921-1997)先生のことを語っています。東京大学教養学科の大学院に進んだ学者たちの書いたものを読むと、その多くが大森先生に惹かれて進学したと告白しています。私は、大森先生には、ウィトゲンシュタイン全集という仕事でお世話になりましたが、たしかに、頭のいい若者たちを魅了するに違いない人格的オーラを発する方でした。
 
 別の先生の原稿をいただくために、本郷の東大哲学科にうかがったことがありました。大学院の授業が終わるのを教室の前で待つように、というご指示があったのでしたか。終わって出てきた学生たちの、人数の多さにまずびっくりしました。大学院の、修士も博士も一緒の授業だったのでしょうか、20人以上はいたはずです。こんなにたくさん哲学者がいてどうするのだろうと、余計な心配をしてしまいました。
 
 あんまり驚いたので、後日、大森先生にお会いしたときにこんな質問をしました。「学生が哲学を勉強しようとする動機は何なのでしょうか?」間髪を入れずに、先生はお答えになりました。「病気です。」禅問答のようですが、私には即座に理解できたと感じました。世界と自分との関係をつかまえそこねて、あるいは、一挙につかまえたいと思い込んで、哲学を勉強したらそれがつかまるのではないか、ということでしょう。そう思い込むこと自体を指して、病気だ、とおっしゃったのだと思います。
 
 大森先生ご自身には、かつて「病気」だった様子は微塵もありませんでした。お書きになる本は、日本語は平明なのに、おそろしく複雑な論理構成になっていて、読んで理解できたことがありません。そこへ行くと、中島義道さんの本は分かりやすいものです。『モラリストとしてのカント1』などという本でも難解ということはありません。なかでも、中島さんをいちやく有名にした『ウィーン愛憎』(中公新書)は傑作です。『ウィーン愛憎 続』(同)は、期待したほどではなかったけれど。


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