秋山真之
秋山真之(さねゆき)の名前は、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』によって、日本人の人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)することになりました。もちろん、私もこの作品でその名を知ったひとりです。
この小説は、真之の兄・好古(よしふる)と、真之と同じ年の正岡子規と、3人の松山藩出身の下士たちの、友情と出世の物語を書こうとして始められたもののようです。むしろ最初は、子規の生き方を中心に書こうとしたのかもしれません。日本の陸軍と海軍に大きな足跡を残した秋山兄弟の軌跡に筆は移り、ついに、日露戦争という大戦争を詳述する結果になりました。
物語の後半にいたると、秋山兄弟も出番がなくなり、後景に退きます。子規は、ずっと前に病死してしまいますし。
いま読んでいる『甦る秋山真之 その軍学的経営パラダイム』(三浦康之著・ウェッジ)の中で、海軍大学校教官・秋山の講義の概要(と言うより「逐条解説」と言うべきもの)によると、ジョミニやクラウゼヴィッツやマハンといった、近代以降の戦略家たちの Art of War(戦争の技術)論を、咀嚼して、日本海軍がどういう戦略のもとに発展すべきかを、明晰きわまりない論理展開で講義したもののようです。三浦さんのこの本は、日露戦争の首席参謀であった、この秋山真之の衣鉢を継ぐような、日本経済の参謀よ出でよ、という呼びかけで終わっています。
松山市では、あらためて秋山兄弟を顕彰し直す動きが強くなっているのだそうです。
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