大野晋
新宿の紀伊国屋書店の6階(?)に、今でもあるかどうかは分かりませんが、サロンのような特別室がありました。書店にゆかりの人がくつろぐための場所のようでした。
昭和50年の春だったと記憶していますが、大野晋先生からお呼び出しがあって、そのサロンへうかがいました。もちろん、こちらは駆け出しの雑誌編集係ですから、上役のお供について行ったにすぎません。少し前に校了した雑誌の記事が、大野先生の主張を真っ向から批判するものだったので、次号にご反論があればそれを書いていただきたいと、お手紙をさしあげ、それを受けて、新宿へお呼び出しがあったという次第です。
そのときの大野先生の怒りの大音声は、後にも先にも聞いたことがないものでした。6階で怒鳴られているのに、1階にいるお客さんに聞こえるのではないか、と思われるほどの声量でした。歯切れのいい江戸ことばをお話しになる方ですから、啖呵の切り方も聞いているこちらが後じさりしそうになる迫力でしたね。
その後、誌面でのやりとりが何度かあって、収まることは収まりました。
さらに何年かのちに、「タミル語」に日本語の起源を求める、という、連載記事を12回くらい頂戴しました。ここ20年以上、その研究に没頭していらっしゃったようでした。
大野先生は、毎日、朝8時頃から学習院の研究室で勉強を始める方だったと思います。いつでも、朝一番に研究室に電話をすると連絡がとれて、原稿を頂戴できましたから。編集担当者にとってはありがたいことこの上ない執筆者でした。
『日本語と私』(新潮文庫)は、自伝的な作品です。お人柄がよくあらわれた素敵な読物です。
7月14日にお亡くなりになりました。享年八十九。ご冥福をお祈りいたします。
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