フィレンツェの薬草園
田之倉稔著『林達夫・回想のイタリア旅行』(イタリア書房)という本が、つい先日刊行されました。著者は著名な演劇評論家です。林達夫先生は、晩年、明治大学の教授もなさいましたが、昭和の思想界の隠れたリーダーというべき、博学無類の学者・ジャーナリストでした。
この本は、その林先生ご夫妻のイタリア旅行(1971年)に、若い頃、案内役で随行した田之倉氏が、昔を思い出して(それでタイトルに「回想」とある)、イタリア書房(という洋書輸入・出版)の雑誌に連載したものを、まとめて1冊にしたものです。
その中に、「フィレンツェ―薬草園1・2」と、2章を費やして、そこをたずねたことが書いてあります。「ジャルディーノ・デイ・センプリチ」とありました。「あれ? あそこじゃないか」と思ったら、ずばりそうでした。
フラ・アンジェリコの有名な「受胎告知」の絵がある、サン・マルコ修道院の道路をへだてた向かい側に、植物園があって、入れるものなら入ってみようと、まわりをグルグル回っているうちに、中で、絵を描いている、日本人の奥さんの姿が見えました。フィレンツェ在住の方のようでした。その人に入り口を教えてもらって、6ユーロ(?)だかを払って、中を見てまわりました。
バラは終わっているし、アジサイも終わりかけているし、目を引く特別な花の姿もない、いたって無愛想な庭園でした。これで、6ユーロは高いなあ、と感想を言いながら、ほんの30分ほど見ただけで出てきました。さきほどのご婦人はまだ絵を描いていらっしゃった。
この本によると、センプリチ(Semplici)というイタリア語は、普通は「シンプル」の意味なのだそうですが、「薬草」の意味もあるらしい。メディチ家の薬草園だったのですね。道理で、草の種類が多いと思いました。東京・文京区に小石川植物園というのがあります。「赤ひげ」の療養所が近くにあった、と山本周五郎の小説には書いてあったと思います。あそこも、たしか、江戸幕府直轄の薬草園としてできたものでした。
そういう由緒のある場所だとはもちろん知りませんでした。近くに、フィレンツェ大学があるので、てっきり、そこの付属植物園かと思っていました。それにしては小さい公園だとも思いましたけれど。