読めなかった古典
『源氏物語』『聖書』『資本論』、これが読まれない必読の古典の三幅対とされます。私も、それぞれ一部分は読んだことはありますが、通読したのはありません。
『聖書』は「旧約」の「伝道の書」というところが好きで、この20ページほどは繰り返し読んだものでした。
空(くう)の空(くう)、空の空、いっさいは空である
天(あめ)が下(した)新しきものなし
なんて殺し文句があって、(読み方としては間違えているかもしれませんが、)読むと元気になった気がしたものです。グロータース神父から、旧約聖書はこの順番に読むといい、と、その一覧表を頂戴したまま、結局読まずにきてしまいました。いまでは、西洋絵画の主題を調べるために、ときどきのぞく程度です。
『資本論』は、なんどか翻訳本を開いたのですが、読めたものではなかった。ちゃんと勉強しなくちゃ、という強迫観念が先走って挫折の連続です。
『源氏物語』は、谷崎潤一郎、与謝野晶子の現代語訳に挑戦して、これもあえなく敗退しました。原文で読もうにも、ことばがむずかしくて先へ進むことができません。
このところ、『源氏物語』がにわかにブームになったようで、大塚ひかりさんも翻訳にいそしんでいるそうです。大塚さんのなら私にもついていけるかもしれないと出版を心待ちにしているところです。今週の『週刊文春』で、林真理子も現代語訳にとりかかると書いていました。
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