山田一郎 | パパ・パパゲーノ

山田一郎

 高島俊男先生の新著『天下之記者:「奇人」山田一郎とその時代 』というすこぶる面白い本を読みました。


 万延元年(1860年)に広島に生まれた秀才で、選ばれて東京開成学校(今の東大の遠い前身)に入り、同級生がみんな出世するのに、ひとり孤高の人生を歩んで、最後は落魄のうちに、明治38年数え年46歳で死んだ人だそうです。


 大隈重信の番頭格のような小野梓のもとに、7人(みんな当時の東大の卒業生たち)が集まって、小野とともに、今の早稲田大学になる学校を作ります。山田一郎も20いくつかで、そこで教鞭をとった。政治学を講じたようです。


 代議士に立候補すると言いながら土壇場でトンズラしたりします。特別な職にはつかないで、そのころから中央・地方で発刊された新聞に寄稿して暮らしていたという。冨山、静岡、広島などで、知り合いの家に、まあ居候のように住み着いて大酒を食らい、いやがられもしました。


 着たきりスズメのきたないなりをしているので、ほうぼうで「奇人」扱いされますが、当人はいたって小心で、本当は清潔好き(二日おきに床屋に行ったり、歯磨き・洗顔に2時間かけたり)だったということが分かります。


 明治初期の、若い者がこぞって中央の指導者にならんとして沸騰していた時代に、その潮流に乗ることのできなかった見栄っ張りのインテリの生き方がなんだかあわれでした。


 高島先生は、たださえ込み入った時代と人の流れとを、簡潔で、諧謔も忘れない文章で活写してくださいました。本書によって、山田一郎という、無色透明のような名前の日本人が長く記憶されることになりました。


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