南方熊楠
南方熊楠(みなかた・くまぐす、1867-1941)の名前を初めて見たのは、1965年ごろ、春日町の古本屋の棚でした。天井近くの棚にその名前の全集があって、「なんぽう・ゆうなんと読むのかなあ。なにをした人だろう」と思ったのでした。今から振り返ると、その全集は1951年に乾元社というところから出たものだったようです。
筑摩叢書で『南方熊楠随筆集』という単行本が出て(1968年、いまは、ちくま文庫)、その文章に初めて接したものでした。粘菌というカビのようなものを研究している奇人学者という評判でしたが、随筆の中身は、天馬空を行くごとき颯爽としたものでした。
平凡社から、新しい全集が売り出されたとき(1984年)には、無謀にも買い揃えました。ネイチャーという、今でも科学論文の最高級の業績を掲載する専門雑誌に載った論文(おそらく「東洋の星座」というもの)をはじめ、英文論文だけの巻が2、3巻あったのではなかったでしょうか。歯が立つもなにも、はなからあきらめざるを得ませんでした。
その後、神坂次郎著『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』(新潮文庫)によって、その生涯がたくさんの人に知られることになりました。死ぬまで、和歌山県田辺で研究を続けたといいます。ほかにも、鶴見和子や、いろいろな人が南方について書いています。
池田菊苗(味の素〔グルタミン酸〕の発見者)や、夏目漱石と同じ頃にロンドンにいて、大英博物館で英国人に伍して研究活動をしていた様子がよく分かりました。漱石は、ロンドンで神経衰弱(今でいうノイローゼ)にかかって、精神的にずいぶん参ってしまったようですが、池田にしろ、南方にしろ、科学の徒は、ガイジンにたいして、これっぽっちも劣等感を持っていなかった、ということも分かります。
この全集も、いつしか手放してしまいました。