索引
単行本を編集するときは、索引をつけるのが普通でした。今は索引のない本が多いので、ちょっとさびしい。
コンピュータで、全文検索すれば簡単にできる、と思っている人が多い。これは、本を書く学者の中にもいます。索引項目(愛、合う、和える、などなど)が出てきたページを残らず掲載しても、それを索引と呼ぶことはできません。
定義や、説明や、解釈や、その項目について情報が得られるページを示さなければいけないからです。ですから、索引は、それを書いた人が、「ここを参照してください」という目的で作らなければ役に立たないのです。
実際には、著者以外の人が、意図を忖度して項目選びをすることもあります。私もやったことがあります。大切なのは、参照ページが多すぎないことです。言語学の専門書の中には、チョムスキーという(20世紀アメリカを代表する学者であることに疑いはありませんが)項目だけ突出して参照ページの多い本がありました。太字にして、とくに大事なページを示すやり方もあります。これも、多すぎると役に立たない。
要は、引く人の役に立つか否か、です。探している項目の情報が、ピタピタと当たる索引というのがときどきあります。そのように作られた本に会うと、本を読むよろこびが倍加します。