永訣の朝
宮沢賢治の絶唱「永訣の朝」は、こう始まります。(旧仮名遣いで)
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
問題は、かっこの中の「けんじや」です。
賢治の自注として「あめゆきとってきてください」と書いてあるそうですから、まぎれはないはずなのです。つまり「けんじゃ」は「ください」であって、花巻方言としては「けろじゃ・けれじゃ」などの訛りかと思われます。
ところが、山本太郎という、ご自身も詩人でもある人が、「あめゆきとってきてください。賢さ。トシは兄のことを『けんじゃ』と呼んでいた。」と文庫本の注に書いたのだという。それが、どうやら広まって、このあいだも、朝日新聞の be に出ていた、と知らせてくれた人がいます。そこでは、「賢治や」となっていたそうです。
こまった注ですね。いかに、賢治兄妹が仲良しだったとしても、大正11年に24歳の若さで亡くなったトシさんが、その年代として、兄を「賢さ」とか「けんじゃ」とか呼んだであろうか、という疑問が残ります。さらに、もしそう呼んでいたとしても、当時の表記では、「けんぢや」となるはずではないでしょうか。
じつは、30年ほど前、『国文学』という雑誌の「賢治特集」で、「賢ちゃん」というのがありました。仰天して投書した覚えがあります。そのときは、遠野出身の人にたしかめました。その方は、慎重に、「遠野では、『けろじゃ』と言います」とおっしゃいました。
私は隣の県の方言の話し手ですから、見当はずれということもありえますが、「けんじや」を「賢治への呼びかけ」ととるのは、直感的に無理な解釈だと思いました。