秋の歌 | パパ・パパゲーノ

秋の歌

 この前(9月8日)の日記に書いた、


 さらば短きにすぎしわれらが夏の輝かしき光よ


という、ボードレールの詩句は、「秋の歌」(シャン・ドトンヌ)の最初の一節にあるものです。『悪の華』という詩集に収められたもの。

 

 ヴェルレーヌの詩(上田敏訳)、


 秋の日のヴィオロンのためいきの

 身にしみてひたぶるに うら悲し


というのも、「秋の歌」というものです。こちらは、「シャンソン・ドトンヌ」という。シャンもシャンソンもどちらも「歌」という意味でいいと思います。


 今は、学校では教えないかも知れませんが、次の三首は「三夕(さんせき)の歌」ということで覚えました。寂蓮の歌は忘れていましたけれど。


 心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行法師

 見渡せば花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家

 寂しさはその色としも なかりけり  槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師


フランスの詩も、日本の短歌も、「さびしさ」を歌った、というふうに言われることがありますが、年をとって読んでみるとそんなことはありませんね。しみじみと感じ入るものがある、というだけです。


 若いころ読んでよく分からなかった中原中也の「一つのメルヘン」という詩は、こう始まります。


 秋の夜は はるかの彼方に

 小石ばかりの河原があって

 それに陽はさらさらとさらさらと

 射してゐるのでありました


幻想的であるということしか今でも分かりません。調子はすこぶるよいのですが。