おいら | パパ・パパゲーノ

おいら

 北野武(ビートたけし)は、自分のことを指すとき「おいら」と言いますね。一人称単数の代名詞です。私どもの田舎では、男も女も「おれ」と言いました。東京方言でも、女が自称として「おいら」と言う場合があったようです。


 おいら岬の灯台守は 

 妻と二人で 

 沖行く船の 無事を祈って 灯をともす


という、「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌でも、「おいら」は単数です。もうひとつ。


 さようなら さようなら 今日限り

 愛ちゃんは 太郎の嫁になる

 おいらの心を知りながら


というのもありました。これも一人称単数です。「でしゃばりおよねに手を引かれ」て、嫁に行くのでしたね。「愛ちゃんはお嫁に」というのがこの歌のタイトルだそうです。1956年のヒット曲。こういうことを調べるのに、ネットというのは便利ですねえ。真偽アイマイのときもあるので、頭から信用してはいけないようですが。


 では、「われわれ」を指すときにはどう言うか。これがよく分からないのです。どなたか教えてください。あるいは、子どもの言葉としては、言語形式がないのかもしれません。「てめえら」はあるのにね。「あんたがた どこさ」の「あんたがた」は、歌のときだけ使われたのではないかしら。


 秋田南部の方言では、「われわれ」は、「おらだ」(「おら達」からでしょう)と言いました。この複数形で「ひとりの自分」を指すことはまずなかった、と思います。「あんたがた」は「おめだ」(「おまえ達」から)。