ガリ版印刷
小学校に入学したのは、前にも書いたように、昭和26年です。小中学校を通じて、テストも、学級通信も、お知らせでも、なんでもガリ版印刷でした。謄写版印刷とも言います。
ガリ版を見たことがない人のほうが多くなったでしょうから、どんなものか、後年知った単語を使いながら説明しますね。
蓋状になった木枠にB4版大のシルクスクリーンが貼ってあり、その下に、文字を切った油紙(原紙と言った)を貼り付けます。台の方に印刷される紙が束にして敷いてある。その上に、蓋をかぶせ、スクリーンの上を、油性インクを塗ったゴムのローラーで手前から向こうへこすり送ります。
知っている人にはモタモタした言い方でもどかしいでしょうが、この説明で分かったことにして、先に行きます。
小学校5,6年になると、先生の手伝いで、ローラーを押したり、インクを缶から出したりしていました。
原紙を切るのは、それ用の細かい目のヤスリの上に油紙を敷き、その上から鉄筆(てっぴつ:芯が短い鉄でできた、鉛筆のようなもの)で、引っかきながら文字や絵をかいていきます。引っかかれたところから、インクが紙の上に染み出していくわけです。
中学生になって、「ガリ切り」をさせられたこともあります。クリタ教頭先生が書いた文章の最後の1ページに余白ができて、何かで埋めることになって、図書棚で見た、萩原朔太郎の詩を書き込みました。こういうのでした。
われの中学にありたる日は
なまめく情熱に悩みたり
怒りて書物を投げ捨て
校庭に寝ころびゐしは
なにものの哀傷ぞ
「なまめく情熱」なら私にも思いあたる。そのせいでしょっちゅう思い出したので今でも覚えているのでしょうね。
インクの色は黒だけと言ってもいいくらい。じつは、今でもこの印刷方式をよく使っている人がいます。カラフルなインクができているのを使って、ガリ版版画を製作する人たちです。グラデーションなども多用した、精巧な絵を見たことがあります。
大学生になって、合唱団に入ったのですが、人数分の楽譜を買うお金もないので、一冊買ったら、それをガリ版で複製していました。ほんとうは著作権に違反しているのですが、当時はそんなことは思いもしなかった。ガリ切りの役目も担当しました。五線譜というくらいですから、まず、等間隔に5本の線を引く。ト音記号のための5線とヘ音記号(低音部)のための5線ですから、これにけっこう神経を使いました。
おかげで、今でも、五線があれば、メロディーを書き込むことができます。若いときに何でもやっておくものですね。
現在では、パソコン・ソフトを買えば、複雑な楽譜をいとも簡単に作成し、すぐ印刷することができます。それどころではなく、そのまま、電子音で即座に再現さえできます。まだ、手に入れてはいないのですが。