序列と分類
昨日高島先生のことを書いて、先生の文章から教わった最大のことを書き忘れたので今日補っておきます。
古来、中国では、読むべき第一の本は『論語』に決まっていたのだそうです。二番目以降は、四書五経と称される(論語は四書の一)一群の書物の中からそれとなく決まったものらしい。『論語』の一番だけは動かなかった。
それを、動かしたのがたった一回あるという。『毛沢東語録』がそうだと言います。あの、文化大革命と言われた時代、小さな本でしたが、『毛語録』をかざしながら、若者が年配者を糾弾するシーンをよく見かけたものです。ヒエラルキーの最上段に、当時もっとも権勢を誇った人の本が乗ったということだそうです。
今ではおそらく読む人もいない『毛語録』にもそういう時代があった、という話。『論語』が第一位に復活したとは聞きませんけれど。
養老孟司先生は、『論語』は、人事のことばかりで、自然については何も言及されていない、と書いたことがありました。中国で、いわゆる自然科学があんまり発達したように見えないのは、万物を、順位で捉えることに急で、横並びにして似たものを同じグループに分ける、という分類の思想が乏しかったことに、その原因があるかも知れないと思ったことでした。