免疫の意味論
多田富雄の『免疫の意味論』(青土社)を読んだときの衝撃は忘れられません。自己と非自己との区別をしている免疫系の仕組みについてほとんど始めて知る話ばかりだったので、眼からウロコが落ちる思いを何度もしました。
多田先生は、この本でいちやく時の人になり、たくさんの本を書き、たくさんの講演をなさいました。法政大学だったかで行なわれた、認知科学会大会のゲストスピーカーとしての講演を聴いたことがあります。講演の中身は忘れましたが、やはり、免疫に関することでした。最後にこういう意味のことをおっしゃっいました。
もし、ガンや心臓病などに罹ったとしても、治療を受ければなんとかなる。万一それで死んでも仕方がない。しかし、自己免疫病(自己を敵とみなして免疫システムが働いてしまう病気)にだけはなりたくない。なったらコワイ。
文字通り世界のトップを走る免疫学者がそう言ったので、自己免疫病というのは相当おっかない病気だと言う事が分かりました。いまだに、おそらく、現在の医学では手も足もでない一群の病気があるはずです。リウマチもその一つだと、先日「ためしてガッテン」で放映していましたね。
『免疫の意味論』に出てきたフレーズだったと思うけれど、こういうのがありました。
女は存在であるが、男は現象にすぎない。
卵細胞が分割してカラダができるわけですが、男はむりやり(アンドロゲン・シャワーを浴びせたりして)作らないと男にならない、という事情を端的に表現したものです。いばってはいけない、と思いましたね。
多田先生は、最近重いご病気から帰還されました。また、ご活躍なさる日がきっとくると思います。