写真的記憶力 | パパ・パパゲーノ

写真的記憶力

 ジェフリー・アーチャーの最近作『ゴッホは欺く』(上下、新潮文庫)は、ゴッホの「耳を切った自画像」をめぐって、だましたりだまされたり、何人もが殺されたりする物語。舞台も、ロンドン郊外(だったか?)、ニューヨーク、ブカレスト、東京、と、めまぐるしく移り、いつもながら手に汗にぎる展開を見せます。女の殺し屋が登場しますが、武器にするナイフは現地調達です。東京の包丁屋で包丁を買うシーンもあります。この殺し屋が、日本の職人技を尊敬していたりする。


 主人公のアンナ・ペトレスクは、9.11当日の8時にノースタワーの事務室で解雇を言い渡され、悄然としてエレベーターに乗ろうとしたところに爆発が起きます。必死で非常階段を降りて命は助かる。


 アンナは、視覚の記憶力がものすごく良い女という設定です。「写真的記憶力」と訳されて、「フォトグラフィック・メモリー」とルビが振ってありました。見たものが頭の中に写真のように保存されてしまうのですね。ために、しばしば、落ち延びたときの階段の記憶がまざまざとよみがえって苦しむ場面が出てきます。


 イディオ・サヴァンという人びとがいます。いわゆる知能指数の値は低いのに、あんまり実用的ではない知識がむやみに豊富にある。たとえば、過去の日付を聞くと、ただちに何曜日か答えたり、全国の駅名を覚えていたりする。このタイプの人々も、写真的記憶力の(それも強力な)持ち主なのだそうです。


 岩城宏之の文章で、最初に勉強した楽譜(スコア)でないと、指揮がスムーズにできない、と書いてあるのを読んだこともあります。頭の中のスコア(オーケストラのそれですから、複雑)を、写真のように1ページづつめくるのだそうです。これも分かるような気がします。


 写真的記憶力は、身につけたい能力ではありますが、よいことばかりでもないのですね。


 とは言え、会った人の髪型とか服装とか、ほとんど何も覚えていない、そのことで、「バカか」という表情を始終返されている者としては、いくらかうらやましくもあるのです。