昨日のブログにも書きましたが、わが家はいま、たいへんな状態です。
ところで、私の妹がこのたび母の俳句の本をデジタル出版しました。
平成のはじめぐらい、母と妹は俳句をやっておりました。
それが広島に本部のある俳句結社「雉」、誘ってくださったのは、小矢部の俳人で、故上埜チヱ先生でした。
けれど、母と俳句の関係はもっと古くにさかのぼります。
昭和二十年代に、母は俳句「水鳥」の会員でした。
母は父(私たちの祖父)と俳句会に集っていました。
しかし昭和三十四年に祖父が他界したあと、句会と言えば夜に催される当時、母が句会に出席するのを父はいい顔をしなかったようでした。
若きころの母の俳句は、ここで一度中断されました。
それが、40年後に復活したのです。
結社「雉」の創刊主宰は、広島大学病院耳鼻咽喉科の医師であった林徹先生、たいへん厳しかったけれど、人間愛にあふれた素晴らしい先生でした。
この林先生に、母と妹は写生俳句の基本から、しっかり指導を受けたようです。
けれど、母が亡くなり、その10年くらいあとに林先生も亡くなられました。
「雉」では女性の鈴木先生に決まっていたらしかったのに、誰も注目していなかった主宰に決定した、それが田島和生でした。
聞くところでは鈴木先生の体調不良ということで、それは本当らしかったのですが、鈴木先生はいまもお元気、精力的に俳句をしておられます。
ここに結社「雉」の衰退の理由があるようです。
それはさておき、母と妹は、林徹先生の厳しいご指導のもと、写生俳句を学んだということで、母や妹のみならず、(私たちの)父までも、たいへん感謝しておりました。
今回のデジタル出版の母の俳句も、林先生のお陰です。
ありがとうございました!