事の本質 | マリアンのブログ

マリアンのブログ

とりとめのない日々のつぶやき
自然の風景(俳句の季語など)の動画とともに、お楽しみください。

 小学校6年生の算数のテストで、零点をとったことがあります。

 

分数の掛け算のテストでした。

テスト用紙いっぱいに計算問題が並んでいます。

途中までは、何の不都合もなく問題を解いていた私・・・いきなり鉛筆が止まりました。

60×3分の2=40   そんなわけがない!

はじめの60という数字に、何かを掛けたのに、なぜ60よりも小さい数字になるのだろう?

私は加算と積算のちがいについて、正確な把握ができていなかったのでした。

テスト中のこと、時間はどんどん過ぎていきます。

いったん疑問につまずけば、その後はブラックボックスにはまってしまい・・・

要領のわるい子ですね・・・途中まで書いた答えを全部消して、初めから順番に10、9、8、7・・・結果は零点!

私は、分数式を作ることも、計算の仕方も知っていました。

何の疑問もなくそのまま書いていけば、100点か計算間違いが2~3か所あったとしても、85点以上の成績は楽々と取れたはずでした。

 

零点の答案を見て、母は私を叱りませんでした。

何か理由があったのだ、おそらく上から下までぎっしりと同じような問題が並んでいることに、うんざりしたのではないかと思ったようです。

私はいま、こんな母に感謝しております。

そして、テスト中に突然、罠にはまったように苦しんだマリちゃんを愛おしく思います。

 

あるひとのブログが、騒動を巻き起こしました。

何が書かれているのか正確に理解する余地も与えられないまま、騒ぎだけが大きくなり、あげくの果てには、ブログが多数の人間に悪影響を与えるという結論に至ったのです。

まったく大したことのないブログが、作者の知らないところで煽りに煽られ、どんどん炎上していく・・・

たしかに煽りには、興味本位ということもあるでしょう。正義感ということもあるのでしょう。

けれど、煽っている人間の多くの場合、そこにこそ自分の利益がかかっているのです。

今回の騒動においても、おなじこと。

 

6年生の少女が零点をとったこと、ブログが騒動を巻き起こしたこと、それぞれには見えないところに本質的な原因があるのです。

アドヴェントの期間、イエスさまはそれらを見逃したりなさらないと思います。