日本サッカー界の金字塔、1968年メキシコ五輪の銅メダルを獲得した日本代表の主将、八重樫茂生氏の死去に、当時チームメートだった杉山隆一氏(69)=静岡県サッカー協会副会長=は「信じられない。最近は体調不良とは聞いていなかった」と語った。
杉山氏の思い出は、64年東京五輪のアルゼンチン戦で、2人のパス交換から決まった杉山氏のゴール。「あれで信頼関係が生まれ、メキシコへとつながった」と話す。メキシコでの八重樫氏は1試合目で負傷。その後の試合に出られなくなると、他の選手のユニホームの洗濯など雑用を買って出た。「自分はこれくらいしか役に立てないから」と言っていたという。
ストライカーの釜本邦茂氏ら個性ある選手をまとめた存在。杉山氏は「プレーでは厳しかったが、優しさがあった。チームは家族で、監督の長沼(健)さん(故人)が父で、八重樫さんは兄貴だった」としのんだ。