インフルエンザによる隔離生活、5日目を迎え、勝手に心配極まり、マスク無しで隔離部屋に飛び込んでくるばーちゃん(88歳)を、何度も阻止しながら、明日に迫った息子の高校のオリエンテーションで提出する書類を、鼻水をかみかみ書いています![]()
頭痛で頭がボーッとし、1枚の保健調査票を書くのに2時間かかりました。くーっ!![]()
オリエンテーションは夫が付き添うことになり、その日に購入する内履きや教科書代なども、書類と一緒にファイルにまとめて渡しました。
やっと一安心![]()
にしても…。今日は咳と鼻水が止まらない!
やっぱり病気の時は、何もせず安静に寝ているのが一番なんだなぁ…。
やっと一息ついて、Amazonプライムで、吉沢亮さん主演の
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』
を見ました。
「国宝」で吉沢亮さんの、しんと鎮まった深く澄んだ湖のような演技に魅了され、他の作品も観たい!と思いました。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』
は、
五十嵐大氏の自伝的エッセイ、
「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
を映画化したものです。
親が障害者というだけで、その子どもは持たなくてもいい負い目を持ってしまう。
自分を愛して育ててくれた親を
「恥ずかしい」
「なんでこんななんだよ」
と思ってしまう罪悪感。
ドラマの中の、母親が授業参観に来て、嬉しすぎておちゃらけている子の愛らしさと、母親に授業参観があることを隠して、複雑な表情をしている大が対照的で、切なくなりました。
「どうして自分の母親はしゃべり方が変なのか」
と、大が祖父に問うシーンでの返答で、祖父母がいかに聴覚障害に無知であり、理解力に欠如していたかが伺えます。
母親役の忍足亜希子さんの演技が本当に瑞々しくて![]()
どの場面からも、まるごと大ちゃんが大好き!って愛が、伝わってきます。
父親役の今井彰人さんは、揺れ動く大の心を自然な感情として受け入れ、等身大の自分で本音で向き合う姿は、見ていて気持ちがいいです。
私が号泣してしまったシーンは、ネタバレになってしまうので、あんまり書けませんが、
大が東京に行くことになり、母親と大、2人で買い物に出かけます。
その帰り、駅のホームで母親が大に言葉をかけるのですが、そのシーンに号泣してしまいました。
もう、感動で(T_T)。
3回観ました。
大が手に入れた、東京での自由な生活の中で、ろう者を見つめる眼差しには、慈愛があふれています。
それは、聴こえない障害と向き合う中で、
「彼らの中で、聴こえないことは不幸ではない」という確信と、ありのままの両親を、本当はとても愛しているからだと感じました。
娘が小学1年生の頃、言葉の検査で、「り」の発音が不明瞭で「い」に聞こえてしまうため、言葉の教室に通うことになりました。
娘が言語聴覚士さんと教室に行ってしまうと、私は待合室の本棚から、「吃音」についての本を見つけ、読んでみました。
「父も吃音だったな…。」
と思い出したからです。
父が死んで10年くらい経っていました。
うろ覚えですがその本には、
ひどいどもりで悩んだ著者が、言語聴覚士さんと出会い、リハビリを受けて改善していく過程と、心の成長が書かれていました。
本を読んだ後、
「良い先生に出会えていたら、父のどもりも治ったのかもしれない。」
と思いました。
父の吃音が放っておかれたのは、周囲のどもりに対する関心の無さと、あとは戦後の時代のせいもあったと思います。
私も家族も、父はどもるもんだと思っており、家の中ではさほど気にもしませんでした。
私が小学5、6年生の頃、父親参観がありました。
私は、咄嗟に父に来てほしくないと思いました。
なので、
「体育の授業だし、走り幅跳びは苦手だから、見に来ないでほしい。」
と言いました。
授業参観の終わりに、参加したお父さん達は先生に声をかけられ、クラスメイトの前で、今日の感想を饒舌に発表していきます。
私は、
「やっぱり今日は、お父さんが来なくて良かった。」
と胸を撫で下ろしました。
父親参観からしばらく経ったある日、父から
「ホントはあの日、来るなって言われたけど、自転車でグラウンドに見に行っちゃたんだ。お父さん、体育大好きだからよ、、」
と、すまなそうに笑いました。
私が気づかないように、隠れて見ていたようです。
吃音の本を読み終わった後、
なぜか急にそのことを思い出し、
私は待合室で一人、
「ごめんなさい。」
と、泣いてしまいました。
「愛しているからこそ、切なくなるんだ」
駅のホームで立ち尽くす大に、あの時待合室で泣いた自分に、そう声をかけてあげたいです。