こんにちは。

ヒプノセラピストの

 かじおかあん子です。

 

こちらは、過去のブログより追記しています。
読んでいたら、当時の思いが蘇り、このまま残しておこうと決めました。
当時を振り返って、今の私が思うことを記載しています。

思いつくままに書いているので
わかりにくい箇所もあると思います。
でも、読んでいただけると嬉しいですニコニコ
 

 


 

「何が有っても大丈夫、ちゃんと良い方に進んでる 」

 

この言葉って

今も私を支えてくれているベル

 

最後の介護
2009年12月23日01:31
 

2009年12月19日午前7時2分

本当に静かに安らかに

母が、息を引き取りました

私の一番最後の介護は

母の手を優しく握っている事でした

18日も私はいつものように考えていて
家で、サンキャッチャーを作っていて
何時も病院へ行く時間よりも遅くなっていました
翌日の土曜日に いつものお店にもって行こうと思って

時間が遅くなったけど
母の病院へは、13時ごろ着いて
その日は、体を拭いてもらって、パジャマも着替えて
枕の上に掛けているパスタオルも昨日取り替えたのにまた、変えてくれていました・・・珍しく

リハビリもいつもと同じように始まりました
ただ・・・今日も目が開きません
体にも少し力が入らない様子でしたが・・・・

先生が、来て下さって
先日、新しいお薬で少し良くなった肝臓が、またすぐ悪くなってきているから・・・どうかなぁ・・・って
もうこんな風になってくると・・・肝不全をおこしている状態だからって
私は、先生に「母の手の皮膚もひどく固くなってきて、今にも割れそうだから」ってお願いして、先生が、また新しい軟膏を処方してくださいました。
「いつも言ってるけれど、僕にできるだけの事はさせていただきます、ただ・・・それでも良くならなかったらごめんね」って
先生に「私は、死後の世界の事もいっぱい勉強しているから大丈夫です」って言って(*^_^*)
一旦出て行った先生が、またすぐに引き返して来て
「いつもお母さんに一生懸命の看護されているから、もしもの時に取り乱してしまわないように、看護士が、何かあったら怖いからって言っているので、いつでももし何かあったら、ぼくを呼んで下さって結構です、飛んできますから」って!(^^)!
「先生、大丈夫です」って言った物のなんか変、
「いつでも、連絡が有ったらこちらに来れるところにいてね、もし良かったら、付添い用のベッドも有りますから」って・・・やっぱり変
「じゃぁ・・・夜中に飛んでくるのも大変なので付き添う事にします」って言ってベッドを用意してもらった。

さて、一旦、家に帰って、彼の作ってくれたすき焼きを今日は、ダイエットを止めていっぱい食べて、お風呂に入って
念のため翌日の納品もやめるメールもして

病院に着いたら、母の血圧が、リハビリの時には110有ったのがその次
90になって今は、80になってるそうで・・・

叔父に電話した、叔父はこの日曜日か水曜日23日に来る予定をしていたらしいけど、急きょ24時に着くぐらいになって、いとこと奈良からやってきた
体調があまり良くなくって、ふらつく叔父をしっかり抱きしめて歩いた

私の彼も来て、4人で母を囲んだ
叔父は、母の様子の変わりように言葉を飲んだ
母の顔の皮膚が荒れてかわいそうなぐらいになってた
肝臓の数値を観てもうかなり悪いと思っていた叔父だったけど・・・
それでもショックを隠せなかったみたい
体調の悪かった叔父はしばらく母の傍についていたがやがて帰って行った
私一人になり、ベッドに横になっていると眠ってしまっていた
看護士さんが、心拍数や血圧や酸素などをモニターに写す器械を持ってきて私の傍に置いた
その時、心拍数60 血圧は、55になっていた 酸素94
酸素が下がるとブザーが鳴るようになっていて消し方を教えてくれた

母の酸素は94有ったので酸素マスクは要らないと思っていた
また、眠ってしまった

ブザーが鳴って目が覚めた
90を切って80台になってきた
酸素マスクを軽く当てて
「濃厚な酸素を吸ってもらいましょう」って(*^_^*)

ブザーが鳴って今度は、マスクを口に着けた
酸素が90を超えてブザーが止まった

何度かブザーで起こされながらも横になって眠った

そんなに深刻になれなかった
これから病院に泊るのが続いてゆくと思ってた

 

 

 

悲しいお別れの訳
2009年12月25日11:00
 

 

どうして、人間はこの悲しいお別れを体験しないといけないの

今、最大の悲しいお別れをしたけれど

また、今度・・悲しいお別れをするなんて嫌です

傍に居てくれるし、呼べば答えてくれると言っても

人間としては、見えないわけだし、声も聞こえないのが普通?

私は、母が、なくなってから
どうしたらお母さんを感じることが出来るの?って聞いてみた
すぐに母の声が・・・
「うぅ・・」
「あぁ~~・・・」って出しにくそうに聞こえてきた、私の名前をちゃん付けで呼んでくれた
私が、涙をこらえ切れなくなって泣き出したら聞こえなくなった
それからは、声を聞いていない

毎朝、私をそっと抱き寄せてくれているような気がするけど
姿が見えない・・どこに居るの?見渡しているのに

使い古したからだから出ることができて
開放感を味わっているだろうなぁ

おかあさん、もう自由だよ
好きな事をして、好きな物を食べたり、出かけたりできるんだよ
綺麗にお化粧もして綺麗な服や着物を着て・・・楽しんでね
お爺さんやお父さんも皆と一緒だよね
何時も夢の中で楽しそうにおしゃべりして、笑ってたね
幸せを味わってくださいね
私、今しばらくは、おかあさん・・・って言って泣かせてね

 

 

 

初七日

 

2009年12月26日21:38

 

今日は、初七日でした。
この一週間は、あっという間でした。
母の亡くなった時間に、慰霊の前で手を合わせました。
母に語りかけました
「もう自由なんだから、天国で、皆と楽しく過ごしてくださいね
でも・・・私が会いたくなったらすぐに会いに来てね」って(*^_^*)
たった先週の出来事なのか・・・随分前なのか、時間が、どうすぎたのか分かりません。

いとこ夫婦が、おまんじゅうや桐の箱に入ったろうそくやお線香をもって、やって来てくれました。
蜜蝋のロウソクは、薄い黄色のかわいい色をしています
お線香は、やはり・・・良い香りがしました

今日は、分骨用の火葬証明をもらうのを忘れていたので、一緒に連れて行ってくれました。
満中院の日取りの取り決め、断り切れなかった人の香典の返しの金額設定、四十九日の法要の食事の件など本当に何から何まで,,,
気のきくいとこがいて幸せです!(^^)!

喪主は、やる事がいっぱいあって大変ですね。
いとこがいなかったらきっとこんな事できなかったかも知れないなって思っています。

ありがとうございます(*^。^*)
 
 
 
遺品の整理
2009年12月29日01:23
 

 

お葬式が終わってから・・・ずっと
模様替えをしながら、遺品の整理をしています

人に貰ってもらうのは悪いかと思って、最近来ていた服は捨てていましたが

地味な服は、彼のお母様が貰って下さいました

押し入れやタンスを整理していると次から次から服が出てきて
カシミヤのセーターなんかも何枚かあって・・・あまり着ていない
もっとデイケアーに行ってる時にどんどん着せてあげれば良かったって
いつもあまりい服を着せてなかったよ・・・
毎日、お洗濯できる物ばかりで・・・
おかあさん・・・ごめんね

着物も・・・
もう・・・何十年も前の普段に着ていたのは何着も捨てました

母は、物を捨てたがらなかったので、今頃怒ってるかな・・・
そんな事無いよね!(^^)!喜んでくれてるよね

母のパジャマは、病院に・・・
結構いっぱい有ったけど病院には、パジャマを持たない人もいるらしいので、使ってもらえて嬉しいです

整理を始めてからもう・・・30袋以上のゴミ袋を捨ててる・・・
母の着古した服は置いておきたいけれど・・・スペースが貴重なので
懐かしくこみ上げる思いを・・・
そっと服に頬ずりをして・・・

それでも思い出が有って捨てられない服は、また・・・今度ね
私の着ない服もこの時とばかりに捨てました

お陰で、一部屋スッキリしました

私のビーズをする部屋ができました♪

まだまだ・・・写真の整理も・・・
母の書きかけの物も有るし・・・
私のビーズの整理も有るし・・・
私の引き出しの整理も・・・

まだ当分・・・お片づけは続きそうです。.・〇・.。☆′☆″ 

 
 

 

 

来年からの私

 

2009年12月29日21:16

今までの母の介護から解放される

私にとってどんな意味が有るのだろう
平成6年11月から始まって15年間

何時も母が中心で母を基本に考えていた
母と2人の生活
訳が有って今では親密な親族とも付き合いを断っていたし
結構必死だった・・・けど・・・それでもいっぱい楽しんでいた
しんどい事もいっぱい有ったけど、面白かった(*^。^*)
一生懸命が報われる時の喜びかなぁ・・・きっと

これから何に一生懸命になれるんだろう
好きな事も有るけど。。。

一つずつ・・・出来ることから始めよう

十分整理もして、気持ちを新たにして

良い友達をいっぱいつくれるよう
心が成長するよう
人に喜んでもらえるように
生活を彼にだけ頼らなくて済むよう

山積みの課題があった・・・

 

 

 

 

 

お墓参り
2009年12月30日20:37
 

一年ぶりになるかなぁ

この夏は、母が、家に居たり、入院したりで行きそびれていました

誰かが、お花を供えてくれていました
親戚は、行ったと言っていないので
まったく、心当たりがないのですが・・・
まだ、そんなに古くなかったので・・・最近だと思うけど・・・

お墓は、雑草が生えて枯れたように見えました

お掃除を念入りにして・・・

母の事を知らせました
そして、よろしくお願いしますと・・・

このお墓に母と良く来た事を思い出し
今日もいつの間にか一緒にお参りしているような感じでした

その後、叔父に会いに行きました

叔父は、体調があまり良くなくて
母の最後の日の夜中にお見舞いに来た後、お通夜にもお葬式にも来れませんでした
何度も「どうや」って電話をかけてくる叔父の気持ちは痛いほど分かりました
姉をちゃんと見送りたいとの思いからでも
何もかも気にかけて手伝ってくれる叔父やいとこに
有りがたい思いでいっぱいです

葬儀の翌日には、彼と2人で叔父に報告に行きました
母の湯かんを済ませ、綺麗にお化粧して、綺麗な花に包まれた最後の顔の写真も見せました
母の生きている最後の顔をみて叔父がショックを受けていたので
綺麗になった母の顔を見て喜んでくれました
「ありがとうございました、無事に葬儀も終わりました」と言った時に
叔父の眼にも涙があふれていました

今日も叔父に会いに行きましたが、「病気と闘っている」って言ってくれています

叔父さん、頑張ってね、きっと母も応援しているよ(*^。^*)


 

 

 

 

母の短歌
2009年12月31日00:17

『ほんまハ
   あたたかいのよ
        春かぜ   ○○』

10年ぐらい前に母がデイケアーで
母の自筆で最後に書いた短歌


本当に暖かい人でした
体も心も・・・

子供の頃は、冬になるとお布団の中で
私の足を自分の太ももの間に挟んで暖めてくれました
暖かくて柔らかい母の太ももで
冷えた私の足はあっと言う間に暖まり
安心して眠ることが出来ました

心はやけどしそうなぐらい熱い人でした

私の実の父は、7歳年下の人
50年以上前の事だから・・・

仕事が出来て、思い切りが良くて・・・
今で言うキャリアウーマン
お局的な人

シングルマザーに近い状態で仕事を辞め
私を産んでからの苦労は並大抵じゃなかったと思う

最後の最後まで・・・
頑張りやでした
目を開ける事の出来なくなった最後まで
笑顔を忘れない人でした
 


そんな母にわたしは
よく食ってかかっていました。
私を見て
私をわかって
そんな思いだったかも知れない

 

前進したり、後退したり・・・少しずつ進もう。.・〇・.。☆′☆″
2010年01月04日18:23

 

昨晩、母の後見人を降りるための書類づくりをしました

11月、12月の金銭出納帳を作り銀行口座の残金と合わせる作業・・・
領収書を見ていると、母の保湿クリームやスポーツゼリーなど・・・
思い出が湧いてくる・・・
だって、ほんの少し前まで、亡くなる事は、考えないようにして
どうすれば今の状態が良くなるかを考えようとしていたから・・・

もう母には、手が届かない・・・もう何もしてあげれない・・
あぁ・・・だったら
あの時にもっと母に手を握らせてあげれば良かった
握ろうとする手を振りほどいて、毛布をかけたり他の事をしていたから
亡くなってしまうなんて、実感がなかったよ

最後に目を開けてくれた16日も・・・もっと傍に居てあげれば良かった
ごめんね
寂しかったでしょ

そう考えると切りが無いほど・・・いっぱい湧いてくる

法務局や家庭裁判所に送る書類は、なんとか書き上げたけど
涙が止まらなくなってきた・・・・

今日は、昨年も買ったけど殆ど使えなかったシステム手帳を買いました

これからは、いろいろな経験をして行こう
いろいろな人とかかわって行こう
予定を作ろう・・・行動しよう・・・

オレンジ色の皮のカバーが付いた手帳・・・
楽しい、良い思い出がいっぱいつまる様に。.・〇・.。☆′☆″ 

 

 

初めてのボランティア・・・音楽会
2010年01月05日23:21

なんだかんだで・・・書くのを忘れてたぁ!(^^)!

永年の夢がかなって昨年の12月23日に・・・
母が、つい4日前まで入院していた病院で・・・

何回も何回も病院の担当者とやり取りをして
民族楽器を奏でる彼は、遠い処から打ち合わせにもやって来てくれた

その時、病室で母に聞かせてくれたのが・・・
母にとって最後の生演奏になっちゃったけど・・・
今回、母が、病院に居ないのを気に掛けてくれた彼・・・ありがとう
母は、ちゃんと一緒に楽しんで聞いているよね
一緒に歌っているよね

13時半から開始なのに11時に待ち合わせ・・・
遠いところから大きな楽器を持って来て
優しい音色で楽しく聞かせたくれた彼・・・しっとりと~

妖精のように歌を歌ってくれた彼女
歌は、母も好きだった「アヴェマリア」
もう最高に素敵な声で・・・
讃美歌も聞かせてもらえた

「素敵なクリスマス気分を味わえた」と言ってもらえたよ

お手伝いをしてくれた、優しい人たち
一緒に楽器を持ってくれたり
写真を撮ってくれたり

患者さんも付添いの家族さんも一緒に・・・
もっと楽しみたかったけれど(*^。^*)
あっと言う間に。.・〇・.。☆′☆″ 
最後は、みんなで「きよしこの夜」を合唱♪♪☆◎*~~~

車いすで入ってきた人を見て思わず目がうるんでしまったけど
一緒に楽器を手に持って音楽を楽しんで下さった患者さんにも感謝します
看護士さんたちはデイルームの椅子を片付けたりマットを用意して下さったり、CDデッキも持って来て下さって・・・
感謝します

終わってから、また今度もしましょうね
今度は、ペットボトルのマラカスも作って・・・

音楽は素晴らしいと思います
私には奏でることが出来ないけれど
こんなことが、また続けて出来るように。.・〇・.。☆′☆″ 
片づけを終わったデイルームでお茶を飲み
私たちの夢を語り合いました(*^。^*)

本当に良かったよ。.・〇・.。☆′☆″ 

こんな素敵な気持ちを味あわせて下さった方々に感謝!

そうそう・・・母の葬儀も21日に終わってたから出来たね
おかあさん、ちゃんと考えていたのかなぁ・・・ありがとうございます

 

 

お世話になった病院へ

そして、

患者様の入院中のお楽しみになればいいなって

 

武司くんやお友達たちが集まってくださった。

ありがとうございました。

 

 

私にできる事。.・〇・.。☆′☆″
2010年01月06日21:18

 

母の仮通夜のときにいとこが駆け付けてきてくれた

母が亡くなっても普段の会話が弾んでる
ビールを飲みお寿司や唐揚げをつまみ・・・

うちの家系は、なんとなく誰が亡くなってもこんな感じ
悲しいけれど・・・普通~に・・・ワイワイ

で、いとこのお店の掃除が出来なくって困ってる話・・・
「ワヮ~・・・だったら、私お掃除に行く~(*^。^*)」

ってことで・・・週に二日ぐらいは、2時間ぐらい行ってみることに

できるかなぁ(゜.゜)

今日は、どんな感じなのかチェックしに・・・
あぁ~なるほど・・・掃除しなくっちゃ・・・

母の事でも何時も本当に良くしてもらっているし
こんなとき何かで力にならなくっちゃ
行く限りは、全力でいとことお店が、良くなるように。.・〇・.。☆′☆″ 

母の介護に手が掛らなくなって時間の使い方が分からない
そんな私にもってこいのチャンスです
ちょっぴり面白そう・・・

母からも「行ってあげなさい、ちゃんとするんですよ」って声が聞こえそうです

コメント

 

 

もう一つ・・・私にできる事 。.・〇・.。☆′☆″
2010年01月10日21:32
 

今日、いとこ夫婦が、母のお参りに・・・そして、四天王寺に行き
お食事の時にフルーツパフェを・・・
パソコンを見てもらったり、デジカメのSDカードを買ったり・・・
本当に良いお兄ちゃん夫婦です(*^。^*)

そして、母の介護が出来なくなった私に今度は、叔父さんの介護をお願いされました(*^。^*)
母たち兄弟は、強く繋がっているのできっと母が、喜んでくれるだろうと思います
現在、入院中の叔父が、私を待ってたかのように自宅に帰る事になりました。母の介護では、まだ十分できてなかったと後悔をしている私にピッタリの申し込みなので、嬉しくって(*^。^*)

母にもしていたように病院に行ってリハビリの様子を見学して・・・
私の声を聞いているだけでも叔父さんの目が覚めるそうですが・・・

娘や息子や家族では中々出来ない事って有るのは分かってるから少しでも役に立てたら嬉しいです♪

もちろん、私の用事の無い時で良いらしいので。.・〇・.。☆′☆″
今日は、彼にもお願いしてくれて了解をもらって・・・ 

これも母からのプレゼント・・・
寂しくないよ・・・私を必要としてくれる人が居るよ 

 

 

 

 
 
 
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