わがままはいけません。

 

そう子供の頃から教わってきた。

 

小学生の頃は道徳の時間というものがあって、

そこで一番教えられたのは、わがままはいけません、

クラスでは自分勝手な行動をとる人はみんなを困らせる、

みんなから嫌われてしまう、一人ぼっちになるよ

だから、

思いやりを大切に、みんな仲良く、というものだった。

 

それを常識として、半世紀以上、生きてきた。

人はわがままを言いたくなるものだけど、

それは、もちろん言ってはいけない。

 

でも、正直に生きるってことがわがままだったり、

人生を自由に生きようとすると、

それはわがままに通じてしまうことがある。

 

そんな時はどうする?

 

もちろんいままでは、それは許されないと思っていた。

 

だって、私はこの世界で役割を持たされているし、

そのようにまわりから求められているし、

それに応えて、役割を果たしてこそ生きている意味があると思っていたし、

そんな私が、わがままを言ったらどうなる?

 

私がわがままを言って、家族もそれぞれわがままを言って、

会社でもわがまま、学校でもわがまま、

隣の家の人もわがままを言って・・・・

わがままの連鎖。

そんなことしたら、

世界が破綻しそうで怖いじゃないか。

 

もちろん、それでも世の中には、わがままな人間がいる。

だから、その分我慢させられる人が出てくる。

それは良くない。不公平な世の中になるばかりだ。

 

だから、我慢、だ。

自分よりも他人のために生きる。

人に尊敬され、感謝される人間になる。それが良い人間。

 

そのためには我慢は必要だ。

大なり小なり、人は自分の夢や欲に折り合いをつけて、

人生を生きていくものなのだから。

我慢は美徳の一つ。

 

そう考えていた。

 

 

でもね、近頃はそうでもないのよ。

 

わがままを言ってはいけないというのは思い込み。

人に直接、迷惑をかけるわがまま、

その一方で、じつは悪いことはなにも起こらない、

誰にも迷惑はかけない、わがままだってあるのではないか?

 

そもそも、わがままは悪なのか?

他人から見ればわがままかもしれない。

でもそれが自分にとっての大正解、ということは大いにある。


 

これまでの常識とは違うかもしれない。

 

でも常識というものほど、怪しくて不安定なものはないではないか。

日本の常識は世界の非常識、だったり、

ひと昔前の常識が、いまは非常識ということだって、

おおいにあるわけで。

 

わがままと言われようと、なんと言われようと、

なにものにも囚われない、自由な精神で生きていく。

 

私にとって自由は何よりも大切なもの。

 

そうやって生きていくと、決めた自分がいる。

 

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