ご無沙汰しています。昨年末のブログから早3ヶ月経ちました、早いものです。*お悔やみのメッセージをいただいた方々、重ねてお礼申し上げます、有難うございましたm(_ _)m。
若い時は当たり前ですが「死」は遥か遠くに感じられ、知人が亡くなった時も、悲しいんだけどやはりどこか他人事。
祖父母が亡くなった時でさえ、まだ子供だった事もあり、(肉親とはいえ)やはりまだ実感が薄かった気がします。
しかしやはりこうして今、この年齢で親が逝ってしまうと、本当に初めて人間は最終的にこの世に存在しなくなるんだ、って事をこれ以上ないくらいに実感するものなのですね。経験して初めて分かることなのかも知れません。
「死」を先にきちんと見据えた上で、丁寧に日々を生きていく事がとても大切、そんな事を教えてくれた気がします。
厳しい世界情勢の中、平穏である事が実は当たり前ではないって事を、私もですが実感されている方もきっと多い事でしょう。
今回のドキュメンタリー映画「世界一美しい少年」、都市部に遅れる事何ヶ月でしょうか。ようやく地方にもやってきたので、小雨降る中早速初日に観てきました。
久しぶりに映画館、ミニシアターですが、平日にこうして一人で映画を観に行けるのを、今回ほど幸せに感じた事はありません。「平和がいかに尊いものか」!ともかく早い停戦交渉が実を結んでもらいたいですね。もう既に十分すぎるくらいの代償を払っているわけです、なんとか第三次大戦になる前に止めて欲しい。
ヴィスコンティと言えば思い出すのは昔の親友。あの3時間強?の「神々の黄昏」を劇場で2回連続で同日に観た強者です笑。彼女の影響でヴィスコンティ映画は幾つか観ましたが、勿論トーマス・マン原作の「ヴェニスに死す」もその一つ。
この映画を撮るため、ヴィスコンティ監督がヨーロッパ中を巡り、主役「タジオ」役を探し求め、ついにその役に抜擢されたのがビョルン・アンドレセン。(しかしオーディションにやって来た美少年達を、舐め回す様に見つめる眼光鋭いヴィスコンティはちょっと怖かった笑)
そのオーディションで、少々伏し目がちの15歳の彼が、スクリーンに大写しになった時はもう150年ぶりにドキドキ💓っとしましたね〜(爆)上の一番目の写真ですが!😍
でも、映画を見終わった後そんな風に軽薄に?反応した事にちょっと罪の意識を感じたんですよね。何故ならその日を境に彼の運命はとんでもない方向に向かって行ってしまったから。この一作で世界中でもてはやされ、あのクイーン歓迎時同様、美しいコケイジャン系に弱い日本人にはそれが特に顕著だった様。羽田に着いた光景など、私などヨン様来日時の映像を思い出しましたが。
特に彼は北欧系、どんなに美しいアジア人だってその陶器肌には敵わないでしょう。遺伝子レベルでハンディがありすぎる笑。
彼は父親が誰なのか、母親からも誰からも聞かされていなかった様です。母親は芸術家肌で所謂ボヘミアン、現実不適応型だった様で、ディオールのモデルなどもしていたんだとか。
でも幼少時に撮影されたらしい、ホームビデオの様なものが、かなりな量残されていた様で、その映像を見る限り、母親として、ビョルンや彼の異父妹であるアニケを愛していたであろう事は、痛いほど切実に伝わって来たんですよね、。
彼女はもしかしたら(ビョルンもそうだけど)今で言うHSPっぽい気質だったのかも。HSPで芸術家肌ときたら母親になるのは相当キツかったのではないかと思いますね。私的には非常に同情できるし、自殺した彼女を一方的に責められるものでもない気がするんです。適応出来ないって事はそういう事だと思うから。
子供ながらビョルンもそういう母親を、無理矢理理解しようと、自分を押し殺して受け入れていた節があります。そういうタイプの子供だったのではないかな、と。
なんとか仕事はこの一作後もそこそこ順調だったらしいものの、心の闇は消えることが無かったと述懐していましたが、生育環境が子供にもたらす影響は実に厳しいものがありますね。
ゲイであるヴィスコンティ監督に(映画の関係者もなんと皆ゲイだったのだとか!)ゲイコミュニティの様なところにも連れて行かれたらしいです、15歳の少年がですよ!
ヴィスコンティをはじめとした大人達に性的に搾取され、あの映画の後日本でのキャリアを勧めた祖母でさえ、本当に彼のことを思ってしたとは到底思えず、そうやって運命に翻弄され続け、繰り人形の様な少年期を過ごしたビョルン。
日本でのCM撮影やレコーディング等のハードスケジュールをこなす為になんと、精神薬?の様な薬物まで飲まされたと言うから驚きです。こうなるともう殆ど未成年者虐待ですね。
普通の北欧の健康的な少年がこの一作で、本人の実像とかけ離れたイメージを100%作られてしまい、好奇の目で見られ続けることとなったその後の人生が、いかに生きにくいものになったのか、繊細で傷つきやすかっただけに、その苦しみはもう察して余りあります。
(ヴィスコンティ監督とビョルン)
約2年前でしたか、世界中でヒットしたホラー映画、「ミッド・サマー」(私も遅ればせながら少し前に観ました!)で老人の役で出てましたね。崖から飛び降りグロテスクな死を迎える、白髪で髭を伸ばした、仙人とも、現在ならホームレスに見えなくもないその風貌には、とてもじゃないけど映画史に残る伝説の美少年の面影は、勿論ありませんでした。言われなければ、分かるはずもなかったでしょう。
とは言え堂々と隠れる事なく、痩せ衰えた現在の姿で、スクリーンに現れたビョルンに私は拍手したい。外見など何程のものか、ですよ。
最後の方の失うものが多すぎると、逆に生きるのが楽になるんだ。このセリフが一番心に刺さりました。実に淡々と自分の過去を振り返って語る彼の姿に、過酷な人生を生き抜いてきた強さを垣間見た思いがします。
ほんの一時間半くらいの映画でしたが、まさにチラシの「Screen Daily」誌のコメント通り、「人間の美しさは、人間力にあると教えてくれる」この言葉通りじゃないかと。
傑作「ベニスに死す」の貴重な裏側に蓋をせず、こうして明かしてくれたビョルン・アンドレセン。知らない方がこの映画の美しさを永久に保てるという意見ももしかしたらあるかも知れないけど、私は知ってよかった、心からそう思いました。
来日時の思い出が、彼にとってはハード過ぎるスケジュールでタフだったとは言え、それほど酷いものではなかったと信じたいです。
映画のエンディングで流れた彼の歌は、当時の状況を思い切なかったものの、本当に日本語が自然で、声もフツーに素敵だったので、最後に載せますyoutube😊「永遠に二人」。やらされた感半端ないですが😅。(作詞は阿久悠さんだそうです。)
若い時は当たり前ですが「死」は遥か遠くに感じられ、知人が亡くなった時も、悲しいんだけどやはりどこか他人事。
祖父母が亡くなった時でさえ、まだ子供だった事もあり、(肉親とはいえ)やはりまだ実感が薄かった気がします。
しかしやはりこうして今、この年齢で親が逝ってしまうと、本当に初めて人間は最終的にこの世に存在しなくなるんだ、って事をこれ以上ないくらいに実感するものなのですね。経験して初めて分かることなのかも知れません。
「死」を先にきちんと見据えた上で、丁寧に日々を生きていく事がとても大切、そんな事を教えてくれた気がします。
厳しい世界情勢の中、平穏である事が実は当たり前ではないって事を、私もですが実感されている方もきっと多い事でしょう。
今回のドキュメンタリー映画「世界一美しい少年」、都市部に遅れる事何ヶ月でしょうか。ようやく地方にもやってきたので、小雨降る中早速初日に観てきました。
久しぶりに映画館、ミニシアターですが、平日にこうして一人で映画を観に行けるのを、今回ほど幸せに感じた事はありません。「平和がいかに尊いものか」!ともかく早い停戦交渉が実を結んでもらいたいですね。もう既に十分すぎるくらいの代償を払っているわけです、なんとか第三次大戦になる前に止めて欲しい。
ヴィスコンティと言えば思い出すのは昔の親友。あの3時間強?の「神々の黄昏」を劇場で2回連続で同日に観た強者です笑。彼女の影響でヴィスコンティ映画は幾つか観ましたが、勿論トーマス・マン原作の「ヴェニスに死す」もその一つ。
この映画を撮るため、ヴィスコンティ監督がヨーロッパ中を巡り、主役「タジオ」役を探し求め、ついにその役に抜擢されたのがビョルン・アンドレセン。(しかしオーディションにやって来た美少年達を、舐め回す様に見つめる眼光鋭いヴィスコンティはちょっと怖かった笑)
そのオーディションで、少々伏し目がちの15歳の彼が、スクリーンに大写しになった時はもう150年ぶりにドキドキ💓っとしましたね〜(爆)上の一番目の写真ですが!😍
でも、映画を見終わった後そんな風に軽薄に?反応した事にちょっと罪の意識を感じたんですよね。何故ならその日を境に彼の運命はとんでもない方向に向かって行ってしまったから。この一作で世界中でもてはやされ、あのクイーン歓迎時同様、美しいコケイジャン系に弱い日本人にはそれが特に顕著だった様。羽田に着いた光景など、私などヨン様来日時の映像を思い出しましたが。
特に彼は北欧系、どんなに美しいアジア人だってその陶器肌には敵わないでしょう。遺伝子レベルでハンディがありすぎる笑。
彼は父親が誰なのか、母親からも誰からも聞かされていなかった様です。母親は芸術家肌で所謂ボヘミアン、現実不適応型だった様で、ディオールのモデルなどもしていたんだとか。
でも幼少時に撮影されたらしい、ホームビデオの様なものが、かなりな量残されていた様で、その映像を見る限り、母親として、ビョルンや彼の異父妹であるアニケを愛していたであろう事は、痛いほど切実に伝わって来たんですよね、。
彼女はもしかしたら(ビョルンもそうだけど)今で言うHSPっぽい気質だったのかも。HSPで芸術家肌ときたら母親になるのは相当キツかったのではないかと思いますね。私的には非常に同情できるし、自殺した彼女を一方的に責められるものでもない気がするんです。適応出来ないって事はそういう事だと思うから。
子供ながらビョルンもそういう母親を、無理矢理理解しようと、自分を押し殺して受け入れていた節があります。そういうタイプの子供だったのではないかな、と。
なんとか仕事はこの一作後もそこそこ順調だったらしいものの、心の闇は消えることが無かったと述懐していましたが、生育環境が子供にもたらす影響は実に厳しいものがありますね。
ゲイであるヴィスコンティ監督に(映画の関係者もなんと皆ゲイだったのだとか!)ゲイコミュニティの様なところにも連れて行かれたらしいです、15歳の少年がですよ!
ヴィスコンティをはじめとした大人達に性的に搾取され、あの映画の後日本でのキャリアを勧めた祖母でさえ、本当に彼のことを思ってしたとは到底思えず、そうやって運命に翻弄され続け、繰り人形の様な少年期を過ごしたビョルン。
日本でのCM撮影やレコーディング等のハードスケジュールをこなす為になんと、精神薬?の様な薬物まで飲まされたと言うから驚きです。こうなるともう殆ど未成年者虐待ですね。
普通の北欧の健康的な少年がこの一作で、本人の実像とかけ離れたイメージを100%作られてしまい、好奇の目で見られ続けることとなったその後の人生が、いかに生きにくいものになったのか、繊細で傷つきやすかっただけに、その苦しみはもう察して余りあります。
(ヴィスコンティ監督とビョルン)
約2年前でしたか、世界中でヒットしたホラー映画、「ミッド・サマー」(私も遅ればせながら少し前に観ました!)で老人の役で出てましたね。崖から飛び降りグロテスクな死を迎える、白髪で髭を伸ばした、仙人とも、現在ならホームレスに見えなくもないその風貌には、とてもじゃないけど映画史に残る伝説の美少年の面影は、勿論ありませんでした。言われなければ、分かるはずもなかったでしょう。
とは言え堂々と隠れる事なく、痩せ衰えた現在の姿で、スクリーンに現れたビョルンに私は拍手したい。外見など何程のものか、ですよ。
最後の方の失うものが多すぎると、逆に生きるのが楽になるんだ。このセリフが一番心に刺さりました。実に淡々と自分の過去を振り返って語る彼の姿に、過酷な人生を生き抜いてきた強さを垣間見た思いがします。
ほんの一時間半くらいの映画でしたが、まさにチラシの「Screen Daily」誌のコメント通り、「人間の美しさは、人間力にあると教えてくれる」この言葉通りじゃないかと。
傑作「ベニスに死す」の貴重な裏側に蓋をせず、こうして明かしてくれたビョルン・アンドレセン。知らない方がこの映画の美しさを永久に保てるという意見ももしかしたらあるかも知れないけど、私は知ってよかった、心からそう思いました。
来日時の思い出が、彼にとってはハード過ぎるスケジュールでタフだったとは言え、それほど酷いものではなかったと信じたいです。
映画のエンディングで流れた彼の歌は、当時の状況を思い切なかったものの、本当に日本語が自然で、声もフツーに素敵だったので、最後に載せますyoutube😊「永遠に二人」。やらされた感半端ないですが😅。(作詞は阿久悠さんだそうです。)