小説家だけではなく、翻訳家としても評価を得ている村上春樹が訳した、カーソン・マッカラーズの処女長編小説、「心は孤独な狩人」読み終えました。一週間かかりましたが、上下二段、390ページにも及ぶ長いストーリーの割には、まあ早く読めた方かな、と。
長編って、もし内容が好みでなかったら完読するのは一種の拷問に近いですよね?
あまりにもくどい過度の状況描写とかでつまらなくなり、途中で投げ出した経験、何度かあります笑。しかしこの本は違う。文章構成もいいし、何より個々の登場人物の思いに引き込まれ、どんどん先を読み進めたくなるんです。

村上春樹を昔愛読していたからそうなのかもしれませんが、この人が翻訳する本って、大体裏切られたことないんですよね、大抵が好み。有名なところではフィッツジェラルドの、「グレイト・ギャツビー」や、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と「フラニーアンドゾーイ(ズーイ、とも)」。この3冊全てたまたま私は昔、野崎孝訳で読んで愛読書になったんですが、これらを訳したいと思った村上春樹ですから、やっぱりものすごく相性がいい、というか好みの本をチョイスしてくれる作家であるのは間違いないです。

レイモンド・カーヴァーやレイモンド・チャンドラーなんかは村上訳で読みましたが、これらもまた自分のテイストに合ってましたね。まあそんな彼が訳したいと思っていて、まだ訳し終えてなかった最後の重要な一冊とも呼ぶべき本が、この本「The heart is a lonely hunter」だったらしい。そう言われたらもう読まないわけにはいかないでしょっ!٩( ᐛ )و

結果、全編通して重苦しいトーンだったし、結末にせめて希望のかけらを探そうとするのに、見つからない。なのに切ないくらい、登場人物たちの心情がこちらに伝わって来て心打たれ、大袈裟でなく読後しばらく言葉を失いました。もう傑作と呼んでいいでしょう。きっとこれ、生涯忘れられない本の一冊になりそう。


(カーソン・マッカラーズ、1917ー1967)

それにしてもこの本、作者マッカラーズが今から80年前、なんと23歳の時に書かれたものだと言うからさらに驚き!ものすごい筆力に圧倒されました。村上春樹好きなら絶対におすすめしたいですね、いや、そんなの関係ない、全然村上ファンでなくとも!
と言うことでそろそろ感想を笑。なるべく簡潔に、要点だけをまとめようと思いますが、どうなることやら🤷‍♀️。多分長くなると思います(^◇^;)

(先ずは状況説明から。)
時は1930年代の終わり、Great Depression、 大恐慌の最中、第二次世界大戦が始まる直前のアメリカ南部の小さな町が舞台。殆どの人が貧困、生活苦に喘いで暮らしている。主人公の10代の少女ミックは、音楽好きで作曲家志望。モーツァルトやベートーヴェンを、ラジオのある近所の家の庭へこっそり入って聴きその音に酔いしれる。そうやって貧しい生活の中で唯一、未来に希望を持てるひと時を持つものの、反面どうやって音楽の道に進んだらいいか分からず、その熱情を自分の中で持て余している。
そこに聾唖者であるシンガーさんがミックの家に下宿することになり、様々な鬱屈を抱えた人々が彼の元にやってくる様に。
集まってくるメンバーはミックに、流れ者のアナーキスト、ジェイク、カフェのオーナー、ビフと知的な黒人医師コープランドの四人。

黒人に対する非人間的な人種差別が日常的に横行しており、コープランドは兎にも角にも黒人差別撤廃、その地位を回復することに心血を注いでおり、それのみを自分の使命だと思って日々怒りと共に暮らしている様な人物。カフェのオーナー、ビフは実は人知れずロリコン趣味で、密かにミックのことを想っているが、その素振りは見せず。ジェイクも社会の矛盾をなんとか正そうと躍起になるものの、人々の共感は得られず孤立し、常にフラストレーションを抱え込んでいる。

つまりそれぞれに孤独で、悩みを抱えたこの四人が、唯一慰めを得る事ができる稀有な人物が、聾唖のシンガーという訳です。ひたすら忍耐強く、静かに彼等四人を受け入れて、真摯に彼らの言うことを読唇で読み取ろうとするその姿は言ってみれば神、キリスト的な佇まいなんですね。この時代に限らず大方の人が、自分のことをアピール、喋りたいし、話を聞いてもらいたい、そんな人の方が多いんじゃないでしょうか?
聞き役に徹する事が出来る人は、案外少ない気がします。だからひたすら静かに、優しく見守ってくれるシンガーの様な存在は、現代だって貴重な存在かもしれないですよね。

で、そのシンガーなんですが、実はこの人小説の中では時代的な配慮もあるのか、ハッキリそれとは述べられてないものの、間違いなくプラトニックなBL、じゃないかと。相手は同じく聾唖者であり、巨体で、食べる事のみを生き甲斐にしている様なギリシャ人、知恵遅れでもあるアントナプーロス。(正直何故この組み合わせ?って思いますが。)彼等はシンガーがミックの家に下宿する直前まで一緒に仲睦まじく暮らしていたものの、アントナプーロスの奇行が原因で、本人が遠く離れた精神病棟に送られ、二人は離れ離れになります。

何をするのもとにかくいつも一緒だった二人だから、シンガーのダメージは計り知れず、そういうのも全出の四人を受け入れた理由だったのでしょう。とにかく一人になりたくなかったんですね。孤独が孤独を誘い、一見形としては上手く機能している様に見えるものの、、やはりこれもやがて呆気なく終わりを告げます。しかもシンガーの死、と言うとんでもない形で。その死の理由が泣けるんですね〜。小説のその部分の描写はあまりにも衝撃的だったし、えっ?キリストの様に慈悲深い側面も確かにあった、あの忍耐強い人物がそんなに呆気なく?とその予想しなかった展開に驚きを隠せませんでした。

特に切ないのは、シンガーが離れて暮らす、字の読めないアントナプーロスに宛てて、手紙を書くシーン。彼のいない淋しさや、訪問してくる人々があまりにも滔々と喋りまくり、実は困惑している事を打ち明けます。そして最後に「君以外のいったい誰が僕を理解してくれるだろう」と締め括って。(まあ結局手紙は出さないんですが。)
ここ、シンガーのヒリヒリする様な孤独が、痛いくらいに伝わってきました。結局神でもキリストでもなく、彼もまた孤独な一人の青年に過ぎなかったんだな、と。そして訪問者四人にとっての救いがシンガーだった事が、幻想に過ぎなかった様に、アントナプーロスもまたシンガーの救いには決してなっていないと言う、なんとも空回りで、着地点のない不毛さ。まさにこの本のタイトルが意味するところがここにあるのだと思います。

終盤家計を助ける為、16歳にも満たないのに働かざるを得なくなり、音楽への道が閉ざされそうになったミックが、それでも自分を鼓舞し、奮い立たせる言葉、大丈夫!オーケー!(自分が今まで思い続けてきたことには)必ず意味がある。そう自分に言い聞かせる、この健気な力強さに涙。逆境に立ち向かおうとする人間は実に凛としていて美しいし、愛しい。ほんの少し、暗闇の中に光を見た思いでしたね。

結局このストーリーは古くて新しい、と言うかある意味普遍なんですよね。
人間の孤独もそうだし、実際に人種差別もいまだになくなってない、それどころかつい最近までBLM問題が叫ばれていた訳で。いつの時代も性の異形性、つまり幼児性愛や、GLBTで悩んでいる人だって、少なからずいます。そんな入り込む事そのものが困難でセンシティヴな領域に、80年前、弱冠二十歳そこそこの年齢で焦点を当て、そうした人々の心の細部を描き切ったマッカーラーズ、やはりすごい作家だったとしか言いようがありません。この本はもっともっと沢山の人に読まれるべきだと思いますね、素晴らしい良書でした。(*過去1969年に「愛すれど心さびしく」と言う邦題で映画化もされてる様です、観たい!)

今日のmusic。村上本初期の作品中に何度もその名前が出て来て、気になって聴くようになった「スタン・ゲッツ」で、おそらく何十回と繰り返し聴いたであろう、大好きなアルバム「Sweet Rain」より、二曲。
(*ピアノはチック・コリアです。)





*最後にGo Toで行った淡路島への小旅行の写真を幾つか。ハンバーガーも含め、淡路ビーフとオニオン三昧でした。淡路牛ほんっとに、美味しかったです!食べ過ぎの為帰ってからは暫くダイエット三昧でしたが。(ーー;)ハンバーガー🍔の横はオニオン🧅ツリー。勿論フェイクです😁

   

    
(淡路夢舞台にある、天からの光が十字架を描き出す「海の教会」。安藤忠雄作品です。)