アルモドバル監督の映画人生集大成とも言える、半自伝的なフィクション映画を鑑賞して来ました。(いやはや最近映画ブログ化してきてます(°▽°))なんと2月以来、久々の映画館です!
期待を裏切ることなく素晴らしかったです。静かな感動を胸に帰って来てブログを書こうとしたんだけど、あまりにも良すぎて逆に書けない笑。私なんかがどんな言葉を駆使してこの映画をあーだこーだ解釈したところで、すべてを伝える自信が正直ないんですよね〜💦書いた後でいや、こんなもんじゃないぞって後悔するくらいならやめようと思ったんですが、、やっぱり書きます。(*ノω<*) もう観て少し経ってるんですが(⌒-⌒; )

例によってこの監督の映画(も)、そんなに沢山観てはないです。昔観た初期の「神経衰弱ギリギリの女たち」の強烈なイメージ、あのはちゃめちゃで変態、エキセントリックでビョーキな登場人物とか(どちらかと言えばコメディ寄りだったと記憶してますが)、実は嫌いじゃないんです笑。しかし何しろ(特に初期の作品は)個性的すぎるので、合わない人には合わない。これはしょうがないですね、趣味の問題なんで。

  

万人向けのヒット映画より、どちらかと言えばこう言うクセのある映画(特にドラマ)を選ぶ傾向が昔からちょっとあった気がします。(はい、偏っておりますが、なにか?笑)
でも、今回のはそういうのじゃなくて、かなりシリアス路線。去年観た「ジュリエッタ(スペイン語発音だと、「フリエッタ」、アリス・マンロー原作)に限りなく近いです。アルモドバル監督はつまるところこういう映画を本来撮りたかったんじゃないか?コメディ路線から入ったのも実は照れ隠しであって。そんな気がします。

人間色々あるけど、生きてるって凄いことなんだ、まあこの監督の映画のキャッチフレーズとしてよく使われる「女性賛歌」とか「人間賛歌」ですね。ややもすると陳腐なものになるんだけど、この監督の映画を見終わった後は、やっぱりそこに帰結するんです。ふぁーっと気分が持ち上がる?月並みだけど人間が好きになるって言いますか。そういう効果を持つ映画って、やはりいいですよね、貴重です。

<あらすじ>*シネマトゥデイより。
サルバドール(アントニオ・バンデラス)は世界的な映画監督として活躍していたが、脊椎の痛みで心身共に疲弊し、引退同然の生活を送っていた。彼は、母親のことや幼少期に引っ越したスペイン・バレンシアでの出来事など、過去を回想するようになる。あるとき、32年前に撮った作品の上映依頼が舞い込んで、。

詳しいあらすじはちょっと今回省いて、主に印象に残ったシーンをクロースアップしたいと思います(前置きも相変わらず長くなったんで^^;)
アルモドバル監督自身を演じているバンデラスはもう常連と言っていいですね、ゲイである監督のお気に入り男優です。
背中の痛みや耳鳴り頭痛、不眠に鬱と様々な不調を抱えて創作活動も行き詰まる。長い人生死ぬまで健康体でいられる人なんて稀でしょう。スペイン映画の巨匠としての揺るぎない地位を得た監督も、当然そう言う時期を経験したはず。ゲイとして堂々と生きる道を選ぶまでの苦悩を思えば、センシティブゆえの心の痛みが体の痛みにとって変わる事は、不思議でもなんでもない気がします。心と身体って間違いなく繋がっていて、影響しあうので。

停滞した今の自分の状態からなんとか脱しようと、演技上反目しあい絶縁状態だった32年前の映画で主演したアルベルト(アシエル・エチュアンディア)を訪ね、一緒に再上映のティーチインをしようと持ちかけます。なんとか承諾を得るものの、体の痛みから逃れるために、アルベルトが使用していたヘロインを無心し続け、それを断つ事が出来ないサルバドール。この辺りまだまだ復活、再生とは程遠く、。


(左:アルベルト役のエチュアンディア、中央:アルモドバル監督、右がサルバドール役のバンデラス。)

突破口となったのが、アルベルトに請われて手渡した脚本。それはサルバドールがかつて愛した男フェデリコ(レオナルド・スパラーリャ)との関係を描いた自伝的な作品で、世間に公表するつもりのなかったもの。
その作品を作者を公表しない条件で、アルベルトが一人芝居で上演、そしてなんと偶然にも観客の中にフェデリコが居て、そのストーリーが自分とサルバドールのものであると告げます。こうして端折って書くと、とってつけた様にわざとらしいんですが、いやいや映画自体は全然不自然な流れじゃなかったです、念の為。


(一人芝居を演じるアルベルト。)

それをきっかけに30年以上の空白を超え二人は再会を果たすんですね。ヘロインがらみでどうしても別れざるを得なかった二人。その忸怩たる想いを乗り越えて時を経て抱擁を交わすシーン、美しかったです。フェデリコが言った一言君の映画はどれも僕の人生の「祝祭」だ。おそらくここで何かが吹っ切れ、失われた自信を取り戻し、再生への道が微かに開けたんじゃないでしょうか。

  
(30年ぶりに再会したサルバドールとフェデリコ。)

過去の栄光(glory)の輝きにセットで必ず伴う痛み(pain)。長い間ずっと痛みに支配され、身動きが取れなかった倦む様に長い日々に訣別出来る時は必ず訪れる。そんなことをこの映画は伝えてるんだと思います。

誰の人生にだって当てはまりますよね?
嫌な思い出であれ、上手くいかなかったあの人この人であれ。時を経るとそれらを俯瞰して見る事ができる時って必ずやって来る。そして自分を許して相手も許し、痛みさえも抱きしめる。
つまり痛みより想い出の輝きの部分にフォーカスする事で人はいつだって変わる事が出来るのかもしれません、それを自分が選びさえすれば。

この映画でやはり私は一番この部分に感じ入ったので、ついスペースを割いてしまいましたが、勿論その他にも見所はいっぱい。サルバドールが幼少期の回想をする場面で、やはりアルモドバル映画の常連、監督のミューズでもあるペネロペ・クルスが、若い母親、美しくもたくましいハシンタ役を好演していました。もう彼女が登場するだけで場の空気が明らかに変わるんですね。もうビビッと笑。オーラがある人というのはきっとこんな人のことを言うんでしょう。
スペイン、バレンシア地方の陽光を浴びて川で女たちが洗濯をする場面なんか、まるで印象派の絵画の様でした。


(煌めく波間を背景にして輝く笑顔が眩しすぎる。もうこれ、絵画ですね!)

(昔は日本もこんなだったんでしょうか。)

9歳くらいの時に住んでいた洞窟住居での印象的な場面も一言書いておかなきゃいけません、忘れるとこだった笑。
ある日偶然作者不明のアート展覧会の招待状に描かれた水彩画を見て衝撃が走るんですが、その絵の少年が自分である事から一気に忘れていた過去が蘇る、そんな場面があります。
貧しい時代、読み書きが出来ない若者労働者に、子供のサルバドール少年が字を教えるんですが、その見返りに若者が台所の流しの修理を引き受けたり、絵心があったのか天窓から洩れる日光を浴び、読書するサルバドール少年をスケッチしていた事をまざまざと思い出すんです。つまりなんとその時の絵だったわけですね。そんな事から何故今の自分が出来上がったのかも分かり、興奮を隠せない現在のサルバドール。



実は家の中の仕事を終え、その労働者が自分の目の前でさりげなく裸体をはだけシャワーを浴びるんですが、(最近の映画ってボカシ、ないんですねっ滝汗)
その時受けた言語化出来ない衝撃、これこそがサルバドール少年の同性への憧憬の始まりだったわけです。そんな過去のことも全て吐露したい衝動に駆られたことも、フェデリコとの再会と共に、映画への復活の糸口につながっていったんだと思います。(ラストシーンに、おおっとなります!!)



残念ながら筋を追う為の字幕を読むのに必死になってしまい、アルモドバル監督のスペイン映画ここにあり、なカラフルでビビッドな色彩のオブジェとか、自前の家具などを使って再現されたらしい部屋をじっくり堪能出来なかったので、なんと言ってももう一度観て、「2度美味しい」を味わいたいですね。


(目を引くスタイリッシュな家具も監督本人の私物。)

(こんなカラフルなキッチンで朝食を食べてみたいかも笑)

まだまだ語れていない部分も多々あり(つまりそれだけこの映画が魅力的って事です。)、若干消化不良気味なブログになってしまいましたが汗、自分の中では前回の「パーマネント・ヴァケーション」と並び、今年観たベスト映画となりました。ああ、やっぱりアルモドバル映画はいい!!d(^_^o)

今日の一曲。タイトルに「pain」が入ってると言うだけの選曲ですが😅、いい曲です。「The Police」で「King of PAIN」。