御無沙汰してます。皆様に忘れられた頃に突然更新するannieです。(〃ω〃)
さて、早いものでもう今年もあと残すところ一ヶ月。そしてこの時期になるとやはり思い出すのは、なんと言ってもこの人、なんですよねー。しみじみ
1980年、12月8日。世界中に衝撃が走った日のことは、例え彼のファンでなくても今も尚、生々しく記憶に残っているのではないでしょうか。
新聞の一面に載った、ヨーコさんの、髪をひっつめにした、今にも崩れ折れそうな悲嘆の顔を強烈に覚えてます。
当時新聞各紙を集め、その部分を涙ながらに切り抜き保存しました。なんでそんなことしたのか?要するにただのニュースで片づけられなかったってことだったのか?この起きてしまった悲劇を一生忘れちゃダメって、とっさに自分に言い聞かせたかったのかもしれないですね。
高校生の時にジョンのソロを聴き始めた私は、それまで箸が転んでもおかしい能天気ぶりだったのに、彼の音楽、(歌)詩などをきっかけにまるで突然自我に目覚めたかのように、シリアスでダークな側面が自分にもあった事に気付かされてしまったんですよね、。ああこれはヤバイんじゃないか、ビートルズ だけでやめておいた方が平和でよかったかな、なんて思ったところでもう遅かった。どんどんどんどん、ジョン(とヨーコ)に惹かれていき、彼らの世界の深みに入って行きました。音楽のみならず、書籍なんかも買ったりして読んでましたね、。
高校の勉強も全く意味がないものに思え、行きたくもなくなってしまい、、。 当時あまり日の当たらない暗めの兄の部屋に置いてあったデッカい笑、ステレオセットで搾り取るような声でシャウトする「Mother」を聴いていたんだけど、我ながら暗かった笑。(あ、とは言えギャップを抱えつつも、高校へは毎日通いましたよー、根が真面目で小心者なのでドロップアウトなんてまず出来ません笑)
このマザーという曲は、アメリカの心理学者アーサー・ヤノフが考案した絶叫療法(=原初体験、primal therapy。)と呼ばれるもので、幼少期などに受けたトラウマなどの治療方法らしいのですが、ジョンが患者としてそのセッション治療を受けた後の産物として作られたものなので、当然の絶叫ぶり。
聴いててなんだかまるでこちらまで苦しくなり、精神療法を受けてるような、自分自身暴かれたくないものをその内突きつけられるんじゃないか?そんな意味不明な不安感を感じたのを覚えてます。こんな治療、逆に不安を煽るだけなんじゃないかと思うのだけど、果たしてジョンに効果があったのか??今以て謎です。
ジョンは私に既存のものに疑問を持つことを教えてくれた先生、、いやもしかしたら不良だったのかもしれない、笑。
当時音楽雑誌で知り合った、同じくジョンファンの女の子と文通して、語り合ったのも懐かしい思い出。少し年下だったのに、私なんかよりずっと大人びた文章を書く非常に知的な女子でしたね。
いずれにしてもジョンの、特に初期のソロアルバムは非常に内省的で、時に痛みを伴う歌詞とサウンドが多く、心地よく聞き流せる音とは真逆なものだった気がします。実に自分の心と向き合ったアーティスト、まさに「芸術家」と呼べる数少ないミュージシャンだったのではないかと。
「労働者階級の英雄」という曲も彼は書いていますが、出自はともかく実際は中産階級家庭の叔母夫婦に育てられたんですよね。非常に知的な部分をおそらくそこで形成されたのにも関わらず、それに自分でもはっきり気づくことなく、不完全燃焼のままとりあえずバンドを組んだんだと思う。
幼い頃実の父親と母親に見捨てられたといった心の傷も、先程書いた精神療法を受けるに至ったくらいなので、確実に彼の中にずっと癒える事のないまま残っていた筈です。
ロックミュージックに出会い、自分を表現する手段を得、その後はもちろんビートルズとして大成功もおさめた訳だけどやはり、何か違う、と心中では悶々としてたんじゃないかな、と思うのです。
結局ジョンはビートルズ時代よりも、むしろ解散してヨーコと一緒に作ったアルバムや、彼女と共に平和活動を行った事で結果、より固定化したジョンレノン像を世界中に定着させたことを思えば、まさに彼女との出会いは宿命だったのだろうし、音楽を作るのみで終わる人では決してなかった、という事なんでしょう。
ヨーコと初めて出会ったときの印象をジョンはこう述べてます。
「俺より頭のおかしな奴がいる!」つまり自分より才能がある、という意味の、ジョンにとっては最大の褒め言葉です。彼女が先生で自分が生徒だ、とも言っていたくらいなので、その信頼は絶大。ようやく自分の中で何かモヤモヤとして、得体の知れない未解決だったものが、初めて彼女によってその存在があぶり出されたわけだから、そのカタルシスと言ったらもう、とんでもなく彼に、心の解放をもたらしたんじゃないでしょうか。
ヨーコさん自身、超多忙の両親(華麗なる一族の出身であるのはご存知の通り。)に代わって、乳母や家庭教師に育てられると言った寂しい幼年時代を過ごしており様々な鬱屈状態を経験、満たされないものをずっと抱えていた様な人。
そういう意味でもこの二人、バックグラウンドはかなり違ってても孤独という共通項があったのは間違い無いんですよね。
まあきっとヨーコさんの場合も、それを前衛芸術家として昇華していったのかな、とは思うのだけど、何しろアバンギャルドですからね、、そう簡単に一般に理解される芸術形態ではなかったことを考えると、その孤立感は、想像を絶しますよね。(ドットアーティストのあの草間彌生さんもおそらく、同様だったんじゃないか、実際彼女がニューヨークにいる頃彼らは交流があった様ですが、うなづけます。)
とにかく頭が良すぎて、観念的な彼女の思考を心底理解できる人は、当時皆無だったのではないかと推測します。そこでジョンのような人が、誰からも理解されなかった長い間の空白を埋めてくれるかのように現れた。まるでピタリと最後のパズルのピースが合わさる様に。それまではお互いに、他の誰であっても、そのパズルは完成される事がきっとなかったのかも。
こういう男女の、お互いを100%受け入れる究極の関係には、本当に憧れましたね、当時の若い、夢見る私は、笑。(今考えると、きっと完全に美化し過ぎていたのだと思いますが笑)
それにしても、ジョンとヨーコは永遠に愛と平和のアイコン。何が本当に必要でそうでないのか、経済至上主義に生きる迷える現代人が、彼らの声に耳を傾ける為にちょっと立ち止まってみるのは、決して無駄ではないと思います。個人的にも12月は特に、ジョンレノンを聴く月にしたいですね、笑。
いつもの様に長話に付き合ってくださった皆様、感謝です。m(_ _)m
と言っても実は第二部がまだ有るんです、あ、でもお忙しい方はどうぞスルーして下さいね、つまんない話なんで(=^▽^)σ時間のある方のみ笑。
(*この二人のまるで子供の様な無邪気な笑顔が、今となっては切ない。同様の映像をビデオ「imagine 」の中でジョン亡き後に観た時も、泣けてしょうがなかったです。)
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
さてさて、第二部です、一気に書き殴ります。(話と口調はココからガラッと変わるかも笑)
実はそのジョンの訃報を聞いた当時、ちょっと気になる男子がおりまして笑、まあ彼とはグループ交際っぽかったのかな。(こんなのが昔あったのさ、笑笑。)やはりロックに詳しい人で、そのジョンの訃報についてもこんな風に話してくれました。
「夜中のコンビニでそのニュース聞いて驚いちゃってね、、呆然として手に持ってたラーメン、思わず落っことしてしまったよ。」(*若干脚色有り。ラーメンではなかったかもしれないし夜中でもなかったかも、笑)
その話を聞いた時点で彼もジョン好きだということがわかり、一気にポイントが高くなった!これってもしかして、運命?by 夢見る夢子(・・;)
程なくして一緒にみんなで出かけ、とあるお店で何故か?曲に合わせてダンスタイムのような雰囲気になり、いやまさか言うまでもないですがソーシャルダンスじゃないですよ!(^◇^;)何だったか覚えてないけど当時流行ってた曲に合わせて、彼と目と目を合わせて踊り、、、一気に距離が縮まって、、ひょっとしたらこれを機に?ジョンとヨーコになる?!つまりジョンの悲劇が転じて福になるのか?と思いきや、、、、、あえなくthe end、笑。
まあお互いに若くて(幼くて?)シャイだったのかなぁ?グループ交際の域は出なかった笑。実際は何度か二人で会ったり出掛けたりもしたんだけど、、なにしろ昭和初期のお話で、、違っ。( 」゚Д゚)」
後から人伝に聞いたところによりますと、(まあ色々ここには書けない誤解があったのは運が悪かったとしか言いようがないんだけど。)結局私にフラれたんだと!それはこっちのセリフだよー笑笑。
まあ縁がないってのはこういうのをいうんでしょうね、きっと。
でも(余談ですが)その踊った時の彼の目は本当にキラキラしてて素敵だったな、、
トオイメ..(ていうか実際ハンサムでしたのよ、ウフ)あんなキュンキュンした感じ、後にも先にもない様な、、あの瞬間だけを切り取ってフレームに収めたいくらいです笑。(これってもうほとんどユーミンの世界、多分これだけで一曲は書ける笑。)
何だか最後話があらぬ方向に行ってしまいましたが、、まあ以上がジョンの死にまつわる私の夢見る頃のお話でございます。人間年取ってロマンス枯渇状態が長く続きますと、こんな風に過去を振り返ってみたくなるものなんでしょうか笑。それはそれでちとイタい。
ぜーんぶ読んでくださった方、嬉しいです、有難うございます♡
それでは最後にもう2曲、ジョンの歌はもう好きなのが数えきれないくらいあって、とても簡単には選べないんですが、先程名曲「Love 」をアップしたので、イキのいいパワーをもらえそうな二曲で締めます。12月8日、是非ジョンを偲んで彼の曲を聴きましょう!!
(なんとヨーコさん、ジョンが歌うその横で、目隠しをして編み物をしてる!さすが前衛芸術家( ⌓̈ )ハァ?)
(ニューヨークシティ)
そして、クリスマスには勿論「ハッピークリスマス」がお勧め!✌︎(^^)v)
*12/6、もう一曲追加します。「Stand by me」、他にもたくさんのカヴァーがありますが、私はやはり、ジョンのが一番好き。しかもこのYouTube映像、今日初めて観てこれは是非ココにキープしたい、と思ったので。(^O^☆♪
さて、早いものでもう今年もあと残すところ一ヶ月。そしてこの時期になるとやはり思い出すのは、なんと言ってもこの人、なんですよねー。しみじみ
1980年、12月8日。世界中に衝撃が走った日のことは、例え彼のファンでなくても今も尚、生々しく記憶に残っているのではないでしょうか。
新聞の一面に載った、ヨーコさんの、髪をひっつめにした、今にも崩れ折れそうな悲嘆の顔を強烈に覚えてます。
当時新聞各紙を集め、その部分を涙ながらに切り抜き保存しました。なんでそんなことしたのか?要するにただのニュースで片づけられなかったってことだったのか?この起きてしまった悲劇を一生忘れちゃダメって、とっさに自分に言い聞かせたかったのかもしれないですね。
高校生の時にジョンのソロを聴き始めた私は、それまで箸が転んでもおかしい能天気ぶりだったのに、彼の音楽、(歌)詩などをきっかけにまるで突然自我に目覚めたかのように、シリアスでダークな側面が自分にもあった事に気付かされてしまったんですよね、。ああこれはヤバイんじゃないか、ビートルズ だけでやめておいた方が平和でよかったかな、なんて思ったところでもう遅かった。どんどんどんどん、ジョン(とヨーコ)に惹かれていき、彼らの世界の深みに入って行きました。音楽のみならず、書籍なんかも買ったりして読んでましたね、。
高校の勉強も全く意味がないものに思え、行きたくもなくなってしまい、、。 当時あまり日の当たらない暗めの兄の部屋に置いてあったデッカい笑、ステレオセットで搾り取るような声でシャウトする「Mother」を聴いていたんだけど、我ながら暗かった笑。(あ、とは言えギャップを抱えつつも、高校へは毎日通いましたよー、根が真面目で小心者なのでドロップアウトなんてまず出来ません笑)
このマザーという曲は、アメリカの心理学者アーサー・ヤノフが考案した絶叫療法(=原初体験、primal therapy。)と呼ばれるもので、幼少期などに受けたトラウマなどの治療方法らしいのですが、ジョンが患者としてそのセッション治療を受けた後の産物として作られたものなので、当然の絶叫ぶり。
聴いててなんだかまるでこちらまで苦しくなり、精神療法を受けてるような、自分自身暴かれたくないものをその内突きつけられるんじゃないか?そんな意味不明な不安感を感じたのを覚えてます。こんな治療、逆に不安を煽るだけなんじゃないかと思うのだけど、果たしてジョンに効果があったのか??今以て謎です。
ジョンは私に既存のものに疑問を持つことを教えてくれた先生、、いやもしかしたら不良だったのかもしれない、笑。
当時音楽雑誌で知り合った、同じくジョンファンの女の子と文通して、語り合ったのも懐かしい思い出。少し年下だったのに、私なんかよりずっと大人びた文章を書く非常に知的な女子でしたね。
いずれにしてもジョンの、特に初期のソロアルバムは非常に内省的で、時に痛みを伴う歌詞とサウンドが多く、心地よく聞き流せる音とは真逆なものだった気がします。実に自分の心と向き合ったアーティスト、まさに「芸術家」と呼べる数少ないミュージシャンだったのではないかと。
「労働者階級の英雄」という曲も彼は書いていますが、出自はともかく実際は中産階級家庭の叔母夫婦に育てられたんですよね。非常に知的な部分をおそらくそこで形成されたのにも関わらず、それに自分でもはっきり気づくことなく、不完全燃焼のままとりあえずバンドを組んだんだと思う。
幼い頃実の父親と母親に見捨てられたといった心の傷も、先程書いた精神療法を受けるに至ったくらいなので、確実に彼の中にずっと癒える事のないまま残っていた筈です。
ロックミュージックに出会い、自分を表現する手段を得、その後はもちろんビートルズとして大成功もおさめた訳だけどやはり、何か違う、と心中では悶々としてたんじゃないかな、と思うのです。
結局ジョンはビートルズ時代よりも、むしろ解散してヨーコと一緒に作ったアルバムや、彼女と共に平和活動を行った事で結果、より固定化したジョンレノン像を世界中に定着させたことを思えば、まさに彼女との出会いは宿命だったのだろうし、音楽を作るのみで終わる人では決してなかった、という事なんでしょう。
ヨーコと初めて出会ったときの印象をジョンはこう述べてます。
「俺より頭のおかしな奴がいる!」つまり自分より才能がある、という意味の、ジョンにとっては最大の褒め言葉です。彼女が先生で自分が生徒だ、とも言っていたくらいなので、その信頼は絶大。ようやく自分の中で何かモヤモヤとして、得体の知れない未解決だったものが、初めて彼女によってその存在があぶり出されたわけだから、そのカタルシスと言ったらもう、とんでもなく彼に、心の解放をもたらしたんじゃないでしょうか。
ヨーコさん自身、超多忙の両親(華麗なる一族の出身であるのはご存知の通り。)に代わって、乳母や家庭教師に育てられると言った寂しい幼年時代を過ごしており様々な鬱屈状態を経験、満たされないものをずっと抱えていた様な人。
そういう意味でもこの二人、バックグラウンドはかなり違ってても孤独という共通項があったのは間違い無いんですよね。
まあきっとヨーコさんの場合も、それを前衛芸術家として昇華していったのかな、とは思うのだけど、何しろアバンギャルドですからね、、そう簡単に一般に理解される芸術形態ではなかったことを考えると、その孤立感は、想像を絶しますよね。(ドットアーティストのあの草間彌生さんもおそらく、同様だったんじゃないか、実際彼女がニューヨークにいる頃彼らは交流があった様ですが、うなづけます。)
とにかく頭が良すぎて、観念的な彼女の思考を心底理解できる人は、当時皆無だったのではないかと推測します。そこでジョンのような人が、誰からも理解されなかった長い間の空白を埋めてくれるかのように現れた。まるでピタリと最後のパズルのピースが合わさる様に。それまではお互いに、他の誰であっても、そのパズルは完成される事がきっとなかったのかも。
こういう男女の、お互いを100%受け入れる究極の関係には、本当に憧れましたね、当時の若い、夢見る私は、笑。(今考えると、きっと完全に美化し過ぎていたのだと思いますが笑)
それにしても、ジョンとヨーコは永遠に愛と平和のアイコン。何が本当に必要でそうでないのか、経済至上主義に生きる迷える現代人が、彼らの声に耳を傾ける為にちょっと立ち止まってみるのは、決して無駄ではないと思います。個人的にも12月は特に、ジョンレノンを聴く月にしたいですね、笑。
いつもの様に長話に付き合ってくださった皆様、感謝です。m(_ _)m
と言っても実は第二部がまだ有るんです、あ、でもお忙しい方はどうぞスルーして下さいね、つまんない話なんで(=^▽^)σ時間のある方のみ笑。
(*この二人のまるで子供の様な無邪気な笑顔が、今となっては切ない。同様の映像をビデオ「imagine 」の中でジョン亡き後に観た時も、泣けてしょうがなかったです。)
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
さてさて、第二部です、一気に書き殴ります。(話と口調はココからガラッと変わるかも笑)
実はそのジョンの訃報を聞いた当時、ちょっと気になる男子がおりまして笑、まあ彼とはグループ交際っぽかったのかな。(こんなのが昔あったのさ、笑笑。)やはりロックに詳しい人で、そのジョンの訃報についてもこんな風に話してくれました。
「夜中のコンビニでそのニュース聞いて驚いちゃってね、、呆然として手に持ってたラーメン、思わず落っことしてしまったよ。」(*若干脚色有り。ラーメンではなかったかもしれないし夜中でもなかったかも、笑)
その話を聞いた時点で彼もジョン好きだということがわかり、一気にポイントが高くなった!これってもしかして、運命?by 夢見る夢子(・・;)
程なくして一緒にみんなで出かけ、とあるお店で何故か?曲に合わせてダンスタイムのような雰囲気になり、いやまさか言うまでもないですがソーシャルダンスじゃないですよ!(^◇^;)何だったか覚えてないけど当時流行ってた曲に合わせて、彼と目と目を合わせて踊り、、、一気に距離が縮まって、、ひょっとしたらこれを機に?ジョンとヨーコになる?!つまりジョンの悲劇が転じて福になるのか?と思いきや、、、、、あえなくthe end、笑。
まあお互いに若くて(幼くて?)シャイだったのかなぁ?グループ交際の域は出なかった笑。実際は何度か二人で会ったり出掛けたりもしたんだけど、、なにしろ昭和初期のお話で、、違っ。( 」゚Д゚)」
後から人伝に聞いたところによりますと、(まあ色々ここには書けない誤解があったのは運が悪かったとしか言いようがないんだけど。)結局私にフラれたんだと!それはこっちのセリフだよー笑笑。
まあ縁がないってのはこういうのをいうんでしょうね、きっと。
でも(余談ですが)その踊った時の彼の目は本当にキラキラしてて素敵だったな、、
トオイメ..(ていうか実際ハンサムでしたのよ、ウフ)あんなキュンキュンした感じ、後にも先にもない様な、、あの瞬間だけを切り取ってフレームに収めたいくらいです笑。(これってもうほとんどユーミンの世界、多分これだけで一曲は書ける笑。)
何だか最後話があらぬ方向に行ってしまいましたが、、まあ以上がジョンの死にまつわる私の夢見る頃のお話でございます。人間年取ってロマンス枯渇状態が長く続きますと、こんな風に過去を振り返ってみたくなるものなんでしょうか笑。それはそれでちとイタい。
ぜーんぶ読んでくださった方、嬉しいです、有難うございます♡
それでは最後にもう2曲、ジョンの歌はもう好きなのが数えきれないくらいあって、とても簡単には選べないんですが、先程名曲「Love 」をアップしたので、イキのいいパワーをもらえそうな二曲で締めます。12月8日、是非ジョンを偲んで彼の曲を聴きましょう!!
(なんとヨーコさん、ジョンが歌うその横で、目隠しをして編み物をしてる!さすが前衛芸術家( ⌓̈ )ハァ?)
(ニューヨークシティ)
そして、クリスマスには勿論「ハッピークリスマス」がお勧め!✌︎(^^)v)
*12/6、もう一曲追加します。「Stand by me」、他にもたくさんのカヴァーがありますが、私はやはり、ジョンのが一番好き。しかもこのYouTube映像、今日初めて観てこれは是非ココにキープしたい、と思ったので。(^O^☆♪