イーサン・ホーク演じるジャズトランペッター&ヴォーカリスト、チェット・ベイカーの自伝映画です。英語のタイトルがとってもクールなので今回は余計なものは何も付け加えずそのままで。
全編破滅的でダーク、万人向けとはとても言えませんが、、ジャズが好きな人には雰囲気を十分楽しめるはず。勿論恋愛映画としてもとてもよく出来た映画なので、特に私の様に切ない系がお好みな方は是非、笑。

ジャズに詳しいわけでもないし、蘊蓄があるわけでもなんでもないんですが、一時期本当に好きで毎日聴いてました。ただ好き、だから聴く、という程度ですが、。まあロックを聴いたり、クラシックを聴いたりするのと私の場合は全く同じ感覚です、ジャンルは関係なくいいものはいいですからね。

そしてそんなジャズコレクションのうちの一つがチェットのアルバム、”Chet Baker sings.”なんですが、もうこれ本当に好きなんです。
最初彼の声を聞いた時、えっ女性ヴォーカル?と思ってしまった程、なんとも繊細で、甘く、黒人のジャズとは全く異質の、しかしどう考えてもジャズと呼ぶ以外にない、メロウで退廃的な声にたちまち惹かれました。
例えば同じジャズでも、明らかに誰が聴いてもすごいと思える声量のある、ルイ・アームストロングな歌い方では全くなく、どちらかと言えばヘタウマ?とさえ少し感じたりする位なのに、この味わい深さは一体何?しかもトランペット吹きながら歌うわけですからね!

白人のウエストコーストジャズとも呼ばれていた様で、1950年代には一時マイルスを凌ぐほどの人気だった様です。そして若かりし頃の風貌からか?ジャズ界のジェームス・ディーンとも。(実際は彼のように夭逝はしてないのですが。)
トランペットの技術的なことはよくわからないものの、あんなに切なくて、それこそもうブルーとしか呼びようのないトランペットの音は、チェットにしか出せないんじゃないかと思うほどです。
テナーサックスのスタンゲッツ同様、すぐにその人のプレイだとわかる、とでも言うか、まあ何度も同じアーティストばかり聴いてたら当然かもしれませんが。

とにかく映画では、イーサン・ホークがチェット本人になりきってました。顔も似てくるから不思議です。この映画の為にトランペットの猛特訓をしたとかで、実際数曲、一部は彼自身の演奏です。そして歌も歌ってます!
イーサンと言えば私なんか、リアリティ バイツでの役柄が好きで印象に残ってるんですが、あの頃と比べると、当たり前ですがちょっと老けた?いや男っぽくなったというべきかな。あの映画では確か繊細な役でしたよね?

チェットがドラッグ絡みでイタリアで投獄されるという衝撃的なシーンで始まるこの映画、その後もずっと、彼の発するささやく様なかすれ声にまるで同調するかの様に、浮上することがなかなか出来ないまま低空飛行を続けます。(それにしても、リアルチェットベイカーはあんな風に喋ったんでしょうか?)
まるで薄暗いジャズ喫茶で延々と続くジャズの曲を聴いてるかの様に、アンニュイで物憂いトーンが映像全編に流れてるんですよね。結構好きなんです、こういうの。

さて投獄から釈放された後、自伝映画に出演契約もして、撮影が始まるものの、時を同じくしてドラッグ売人から激しく暴行を受け、再起不能かとおもわれる程のひどい重傷を負います。
前歯はほぼ全滅、トランペット奏者としては致命的だし、もちろん撮影中の映画も中断せざるを得ない状況に。不運の連鎖をどうしても断ち切れないんですね、。でもそこであきらめず、しぶとく、文字通り血のにじむ努力で、再起をかけようとするんですが、どうしても前歯がないため思う様に吹けず、ついまたヘロインに手を出してしまう、。ここはもうイーサン・ホークが迫真の演技を見せてくれます。

自伝映画で共演した女優志願の恋人ジェーン(カルメン・イジョゴ)が、そんなチェットを叱りながらもとにかく献身的に尽くすんです。なんとか彼にヘロインをやめさせようとして。もうまるで母親か?ってくらいに。このあたり恋愛映画としてみると、よくあるダメ男と、デキる女の構図にどうしても見えてしまうんですけどね、。

住むところをなくし、キャンピングカーで生活を始める二人。愛があれば、を地で行く様な日々の暮らしは、危なっかしいのに、なんだか見ていてすごく羨ましい。西海岸と思しき美しいビーチで、二人が太陽の下戯れるシーンは、本当にキラキラするほど眩しくて、胸が熱くなりました。そのままその幸せが続いて欲しかったんだけど、、。

キャンピングカーの中でチェットがジェーンにプロポーズする場面もよかったです。指輪の代わりに父親から貰ったトランペットのバルブリング(部品?)をチェーンに通して彼女の首にかけるんですが、まあこういうのって、特に目新しいわけじゃないけど、やっぱりイーサン・ホークがやるからサマになるわけです笑。

そんなチェットにもようやくあのニューヨークの名ジャズクラブ、バードランドで演奏するチャンスが訪れます。完全復帰の確実な足掛かりになるであろう、最大のチャンス!マイルス・デイヴィスや、ディジー・ガレスピーも聴きにやってくるらしい。
ナーヴァスになったチェットはジェーンに一緒に行く様執拗に、まるで駄々をこねる子供の様に頼むんですが、大切なオーディションと重なったジェーンがそれを断ると、キレて、ガラスを割ってしまうんです。もうこのあたりがなんとも 心許無いし、どうしても先行きが不安になりますね、。正直完全にヘロインを断ててない状態でもあるようだし、。で、やはりというか不安は的中するんです。とは言え実はここからエンディングまでがこの映画の一番の見どころです、もう間違い無い。(自信をもって言います笑)
完全ネタバレになってしまいますが、ここのハイライトを書かないと気持ちよくブログを終われないので、書きます!

麻薬を断つためのメタドンという合法の鎮痛剤を切らしてしまったチェットは、楽屋でヘロイン注射を打つ準備をしているところを、旧友のディックに見つかってしまいます。ディックが「ジェーンを失うぞ。」と警告し、なんとかメタドンを調達し手渡すのですが、、。

時間に遅れようやくステージに現れ最初の曲”I’ve never been in love before”
を歌い始めるチェット。観客の中にはディジーやマイルスは勿論、なんとジェーンもいます!互いの目と目があった瞬間の彼らの鼓動がこちらにまで伝わって来る様で、思わず固唾を呑みました。

僕は今まで一度も恋をしたことがなかった

でも君と出会って、永遠の愛を知った


この歌を聴いてる時のジェーンの顔がもうすごくいいんですね、思い出がフラッシュバックし、ようやくここまできたんだな、、という感極まった瞬間。
カルメン・イジョゴって私は知らない女優さんだったんですが、大げさなリアクションをしなくてもこんな風に目や表情で訴える事はできるんだな、、って思いしりました。そのくらい彼女の顔に釘付けになってしまったんです。そして互いの目と目で語り合う一瞬、、その後ゆっくりと静かに涙を浮かべ、、、もうここまでまるでスローモーションで見ている様な不思議な感覚でした。
実は最初は感激の涙だと思ったんです。でもそうじゃなかった。
彼女には分かってしまったんです、瞬時に。彼が麻薬を使って演奏していることが。麻薬を使った時に必ずやってしまう癖を見逃さなかったんですね、その仕草を見た直後の彼女の顔が確かに、僅かに変化したんですが、あまりにも微妙すぎて実は最初見たときには気づけなかったです。
その後の彼が演奏を終えるまで静かに流した涙は、実は失望のそれだったんですね。

そしておもむろに思い出のリングネックレスを外し、意を決した様にディックに手渡し一言。「Don’t be sorry for me.」私を憐れまないで。この一部始終を、演奏しながら顔色一つ変えず、諦念したかの様な目で見届け、去っていくジェーンを目で追うチェットがあまりに哀しい。ヒリヒリするくらいに痛々しかったです。本当にこのシーンは何度見ても素晴らしい、もう言葉を無くしますね。
結局彼自身宿命的にどうしても安寧な人生を選べない、ということをきっと受け入れた瞬間であったのかも知れません。

その後次の演奏曲”Born to be blue”、と最後に本人が搾り取る様な声で言ったところで画面はエンドロールに変わります。

ハッピーエンディングであってもそうでなくても、こんなに上手い演出なかなかないんじゃないでしょうか。いい小説がそうである様にやはりラストがうまく決まるといつまでも余韻に浸れる気がしますね。

Born to be blue”ブルーに生まれついて”は、1946年ごろの作品(作詞、作曲メル・トーメ、ロバート・ウェルズ)でヘレン・メリルなんかのヴァージョンも中々いいんですが、やはりこうして映画を観た後だと、つくづくこの歌はチェット・ベイカー以外に歌いこなせる人はいないんじゃないか、と思ってしまいます。そんな風に思わせてくれたイーサン・ホークの渾身の演技、本当に凄かったです。(オスカー取っても良かったんでない?、、って個人の趣味押し付けちゃいけませんね、笑)

それではチェットでBorn to be blueとLet’s get lostの二曲、それからイーサン・ホークの健闘を讃えて、My funny valentine を。