映画、ライ麦畑の反逆児、遅ればせながら観てきました。この映画自体は評論家受けがそれほど良くはなかった様ですが、小説「 ライ麦畑でつかまえて」他サリンジャーの本をその昔読んで感動した私としては、観ないわけにはいきません!
謎に包まれたこの作家がどういう経緯でこれらの本を書いて、世界中の若者の共感を呼び、大成功した後に突然姿を消してしまったのか、、ミステリアスだらけだった背景をようやく知る事が出来た、それだけでも価値ある映画だったと言えます。
本を読んだのはもう二十歳そこそこの頃だったので、詳しい内容は覚えてませんが、少しでも鬱屈した経験があったり、オトナに対して反抗心を抱いたりしたことのある人なら、間違いなく共感できる筈。ライ麦畑でつかまえて、車輪の下(ヘッセ)、人間失格(太宰治)あたりが筆致はそれぞれ違うけれども、ある種の若者の代弁としての役割を果たしてきた金字塔的な三作品ではないかと思うのですが。(この3冊全部読んだ私って、、暗かったのね、汗💦)

映画自体はサリンジャー(ニコラス・ホルト)が、何度も高校や大学をドロップアウトするに至った性格的な掘り下げ?がいまひとつ足りなかった気がします。ここは結構、ライ麦畑を書くに至った大事なポイントだと思うので、個人的にはもっと知りたかったですね。

ただ父親からは作家になることは猛反対されていた様で、おそらくハイスクール時代より既に(いやそれ以前か?)無理解な父親や、教師に代表される所謂体制と言ったものに対し反発や違和感を感じていたのはまず間違いなく、(まあこれは誰しも一度や二度は経験したことのある、若者特有の現象ですけどね。)おそらくそういった違和感を書く事でアイデンティティーを辛うじて保っていたのかもしれません。体制に逆らってロックミュージシャンになったのと、何だか似てなくもない様な、。

しかしあの本の影響はとてつもなく大きく、社会現象にもなり、狂信的なファンを生んだのも事実。ジョンレノン暗殺犯が現場で本を所持していたのは結構有名な話ですよね。当時のあの事件を知ったサリンジャーが、果たして何を思ったか、。

私生活では劇作家ユージン・オニールの娘ウーナと付き合ったりし、マンハッタンの華やかな社交界で、青春を謳歌もしていた様です。その後陸軍に入隊、戦争が終わったら結婚するつもりだったのに、入隊中にウーナはなんとあのチャップリンと電撃結婚!そのショックに加え、戦争の壮絶極まりない体験からのトラウマに相当苦しめられ、しばらくは書くことすらままなりません。当時禅や、東洋思想にも救いを求めていた様で、そこは非常に興味深かったです。

恩師であり、編集者でもあったバーネット(ケヴィン・スペイシー)の言葉、「君は生涯をかけて、物語を語る意思はあるか?」「見返りを求めず、書いていけるのか?」や、入隊する際に言われた「生きて、ホールデン(*サリンジャーの分身でもある、ライ麦畑の主人公の名前。)の物語を書き続けろ」の言葉になんとか奮起し、(*サリンジャーはライ麦畑に先駆けて、同名の主人公で短編を書いていた。)ついに1950年、長編傑作「ライ麦畑でつかまえて」を完成させます。
発売後すぐに大ベストセラーとなり、一躍スターダムにのし上がったものの、初版本には彼自身の顔写真を載せていたこともあり、ファンに付きまとわれたりし相当辟易した様で、ついにニューハンプシャー州の山中に移り住み、世間の狂騒から背を向けます。(人気絶頂のそのときまだ弱冠34歳!)
そのあとは公に姿を見せることもなく、ひたすら執筆に専念し、ミシガン大学の教授職打診も断り、ケネディ大統領の晩餐会の招待すら断ったとの事。(映画パンフより。)そこまで厭世的になっていたんですね、。

15歳年下の妻クレア(ルーシー・ボーイントン※ボヘミアンラプソディーで、フレディの恋人役でしたね。)ともやはり関係が悪化します。人里離れた山中で、執筆にしか興味のない夫に業を煮やし日々口論。

この時のサリンジャーの慟哭の台詞が、あまりにも悲しすぎました。「僕は夫にも、父親にも、友人にさえなれない男なんだ!」
せつないですね、芸術家として生ききるのはこんなにも過酷なんでしょうか。このシーンはかなり心に刺さりました。

ライ麦畑でつかまえて、だけで全世界発行部数6,500万部を超え、今尚毎年25万部づつ売れ続けていると言うから、いかにこのオバケ本が今後も若者に影響を与え続けていくかは、想像に難くありません。
有名すぎるこの本に今こうして、作者のバックグラウンドが明らかにされた事でファンとしては、謎解きが叶った様で、より一層身近に感じられる様になった気がします。

余談ですが、この本のタイトル”The catcher in the rye”、日本語訳が何種類かあって(訳者も異なる。)おそらく一番有名なのは、野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」ですが、catcherって、捕まえる人、の意が正しく誤訳では、とも
言われていた様です。ちなみに他のタイトルは「危険な年齢」、「ライ麦畑の捕手」なんてのもあったそう。最近の村上春樹新訳は、カタカナでそのままのタイトルですが、やっぱり私は意訳でも、野崎孝訳が一番いいですね。語呂がいいし、何と言ってもキャッチーな感じがしませんか?笑

最後にこの本からのセリフを少し。
ライ麦畑で遊んでいる小さな子供達が、危ない崖から転がり落ちそうになったら、その子を捕まえる。ライ麦畑の捕まえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。
あたかもそれは、大人の欺瞞や俗物性に自分は捕まってしまったから、そうなる前に無垢な子供達を守りたいと言ったサリンジャーの願いだったのかもしれません。

今年一月、生誕百周年を迎えたJ.D.サリンジャー。映画も観たことだし、再度何十年ぶりかでこの本を読んでみようかな。どんな印象を持つかちょっと楽しみです。
今回のブログにふさわしそうなミュージック、と言うことで尾崎豊の15の夜をちょっと思い浮かべたけど、何か違うな、と思って探したらこんなのありました。ガンズアンドローゼズで、そのままのタイトル,Catcher in the Ryeです笑。