いつまでも意地を張っていたり、恨んでいてもろくなことはないよ。そういうもので私はどれほど後悔していることか。

自尊心。虚栄心。われわれはなぜ、こんなばかなことをやっているんだろう? 

さて、いよいよモリー先生の講義も最終章。冒頭の台詞に心当たりはないでしょうか?

誰もが生きている以上、いつもいつも気の合う人に囲まれて生活していけるわけではなく、あるいはたとえ気の合う人とであれ、行違いがあり、ちょっとした誤解が元で、その関係にヒビが入るなんてこともありますよね?

それはモリー先生だって同じ。完璧な人はいないわけです。

 

彼にも苦い経験があり、死の間際になっても尚その事を忘れられずに後悔するのです。

若い時に一緒に多くの時を過ごし、親友だと疑わなかったノーマンと、その悲しい別れ。

その理由はバカげたプライドが原因でした。

 

ノーマンがシカゴに引っ越した後、モリーの奥さんが大きな手術を要する病気になり、そのことは知っているのに、経過がどうなのか電話一つさえもよこさないノーマンに不愉快になったモリーは、後日弁解し仲直りしようとするノーマンを受け付けようともしません。

 

そしてその後ノーマンはガンで亡くなってしまう. のです。

ところがモリーは会いに行かず、彼を許さなかった。このことが後になって、大きな後悔となり彼を苦しめるのです。

 

ひとは傷つけられる経験をすると、特にプライドが高い人ほど、相手を許さない傾向にある気がします。しかし許さないと後味は悪いし、結局その事をそう簡単に忘れられないためずっと後を引きずってしまい、本人の人生の汚点となって、どこかに憂いを隠し生きていくことになる気がします。

もちろん時が解決してくれることも多々あるものの、時間は相当かかるでしょう。

モリーは自分の経験を話してしばらく涙を流した後、ミッチにようやく口を開きます。

 

許さなければいけないのは、人のことじゃない、自分もなんだ。

やらなかったことすべてについて。やるべきなのにやらなかったすべてについてね。そのことをいつまでもくよくよ悔やんでもはじまらないんだ。今の私みたいになったらそんな事をしてもなににもならない。私はいつもああすればよかったと思っては色々自分を傷めつけていた。だが今ではそんなことをやっても無駄だったことがわかる。

 

仲直りすること。自分と、それから周囲の人すべてと。

自分を許せ。人を許せ待ってはいられないよ、ミッチ。

 

ミッチ がモリーシュワルツ教授から教えられたいちばん大事なことは

人生に手遅れというようなものはない、ということでしょうか。

 

モリーは最後のさよならを言うまで変わり続けたのです。自分を哀れむこともなく、

ひたすら人生に何がいちばん大切かを昔の教え子相手に語り続けながら。

 

この本の中の心に突きささる台詞に、私はどれだけ線を引いたかわかりません。

いい年をして分かったふりをしていただけで、いかに行動が伴っていないかも思い知らされました。死ぬ間際までこれらに気付けない事は出来れば避けたい。

 

今から少しずつ行動を変えて、出来れば後悔の少ない穏やかな老年を迎えたいものです。ハードルは高いけれども。

 

“いかに死ぬかを学ぶことは、いかに生きるかを学ぶこと”ですね。

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ユーチューブで見ることができます。字幕はありませんが本を読んだ後なら大丈夫。