きょう角川書店から『特撮ニュータイプ』が送られて来た。
えっ?何か取材を受けたっけ?
あっそうそう!そう言えば実相寺監督への追悼コメントを書いたんだった。
読むとかなりカットされていた。文字数の関係か?それとも・・??
折角書いたのに勿体ないから原文をここにあげますネ。
駄文だけど原文はこう・・↓↓↓

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『実相寺監督とアンヌの関係』
二十歳になったばかりの私はいつも自信のない東宝の新人女優だった。
「ウルトラセブン」の撮影が始まって3ヶ月ほど経った頃やっとレギュラ-陣とも慣れてきた。
そんな時に実相寺監督がメガホンをとることに決まった。フルハシ隊員曰く
「実相寺昭雄はすごいぞ~。すごい映像をとるぞ~、ウルトラマンの時だって・・・」
暗示にかかりやすい私は鬼才だとか映像の妙手だとかを小耳に挟むともうもうビビッてしまう。
女優という職業に成りきれなかったのは偉い人には弱いという私の悲しい性(さが)だ。

撮影が始まった。
すでに私は監督から逃げていた。口も利けないしいつも眼を反らしていた。
ちょうど私と年齢も差程変らない桜井浩子さんをゲストでお迎えした時だった。
「カントク~!衣装はこれでイイかしらっ。私が編んだセーターなんだけどっ。」
彼女が監督と対等にお話しできている状況を諸に見せつけられたという感じだった。
隠れながらも羨望の眼差しで見ていたから鮮明に憶えている。
性格の差なのか?自信の差なのか?キャリアの差なのか?
その後、彼女は映画等にも監督とのおつき合いは長く続いたらしい。

あれから35年ほど経った頃、実相寺監督とやっとお話出来る機会が来た。
アンヌ隊員を浮き彫りにしたDVDが作られる時だった。
前記のように実相寺監督から逃げていた私だったのに時が経つと勝手なもので
いつしか「私は実相寺監督に嫌われていた」・・と言うようになっていた。

その言葉に興味を持ったあるプロデューサーが真相を解き明かしたいと
『アンヌVS実相寺』対談が企画されたのだ。
「僕は君を嫌ってなんかいないよ。あなたが一方的に逃げていた」
「でも今の方がイイ感じになっているよ。今度固い話はヌキにしてお会いしましょう」

それから4年ほど経った。
やっと再会が叶ったのが「シルバー假面」のゼロ号の試写室ロビーだった。
目が合った瞬間、監督自ら手を差しのべて握手をして下さった。
「体調崩しちゃってねぇ。」
あの言葉は約束が叶えられなくてゴメンネといっているようだった。
奇しくもそれから9日後に天に召されていったのです。

セブン撮影後その2度しか会っていないけれど点と線で結べる単純明解な関係なのだ。