続いて中部地方に入る。
新潟県
なお、配分されたけん銃は、本県の場合国警警察官にはコルト三八口径回転式、自警警察吏員にはコルト四五口径自動式であった。
「新潟県警察史」新潟県警察史編さん委員会 編
新潟県の自治体警察の定員は1342名、M1911の推定配分数も1342丁となる。
長野県
同年(昭和24年)九月八日、国警分として警察官数九六二挺(S&W RV三八SPL)のけん銃が配分されたので、(略)同年(昭和25年)八月二〇日には、自警分として四五口径COLTAUTけん銃九二四丁が配分されてきた。(略)
(略)昭和二九年六月三日長野市警察署勤務巡査桜井信雄が、保管中の四五口径コルトオートマチックけん銃を盗難にかかるという事件が発生した。本年に入ってから六件目のけん銃事件であり、この拳銃を奪取した犯人が奪取けん銃で小県、埴科の両郡にわたり強盗を犯したので、問題は更に大きくなった。このため教養課は、総力を挙げてけん銃事故防止をはかることになり、教養課金木警部の指揮のもとに指導班二組を編成して、四五口径コルトオートマチックけん銃携帯者を県下八ヵ署に集め、全員に対して事故防止の巡回教養を実施した。そして昭和二九年一二月一五日付「務発第三二号けん銃弾薬の携行について」の指示により、常時装てんは中止する事になった。これによりけん銃事故は急激に減少し、三〇年は一件、三一年は二件、三二年はなしという成果を挙げることができた。
(略)これにより県下警察官の携帯けん銃は、
三八口径S&Wスペシャル回転式けん銃
三八口径コルトコマンド回転式けん銃
三八口径チーフスペシャル回転式けん銃
四五口径コルト自動式けん銃
の四種となった。
「長野県警察史 各説編」長野県警察本部,長野県警察本部警務部警務課 編
という事で、長野県の自治体警察に924丁のM1911が配分された。
二番目のパートでも長野市警が45オートを装備していた事が確認できる。当時は常時携行、常時装填の時代で、警察官は全弾装填した拳銃と予備弾を常に持ち歩かなければならず、仕事が終わったらそのまま自宅に持ち帰って自分で管理しなければならなかった。それによる事故や事件、そして盗難や紛失は現代では考えられないほど多かった。
三番目のパートは昭和30年当時の長野県警察の保有銃である。チーフスペシャルは昭和26年の新規購入分で、最初はなかったはずのコルトコマンドが増えているのは再配分によるものだろう。
ちなみに佐々淳行氏の「連合赤軍あさま山荘事件」では、連合赤軍があさま山荘に逃げ込む理由となった長野県警機動隊との遭遇戦において、長野県警機動隊員は2名がコルト45オート、1名がニューナンブで、合計6発を発射したと書かれている。
山梨県
なお配分されたけん銃は、本県の場合国警警察官にはレボルバー三八口径回転式・自治体警察吏員にはコルト四五口径自動式であった。
「山梨県警察史 下巻」山梨県警察史編さん委員会 編
一番上の「新潟県警察史」とほぼ同じ文章である。
警察史編纂時には先行する他の警察史を少なからず参考にする場合が多く、特に銃に関する事は何をどう書いていいのか判断するのを避ける意図があるのか「コピペ」で済ませる場合がある。「これと全く同じ文章をあちこちの警察史で見たぞ」という部分は存在する。そうした場合に、そもそもどれが最初の文章なのかは警察史の編纂された順を調べればわかるだろけれども、あまり意味はなさそうなのでそれはしない。
山梨県自治体警察の定員は362名、362丁のM1911が配分された事になる。
岐阜県
翌二八日(昭和24年7月28日)にはまず国家地方警察にSW回転式(三八口径)けん銃を、ついで翌二五年一月までに自治体警察に対しコルト自動式(四五口径)けん銃を配分した。
「岐阜県警察史 下巻」岐阜県警察史編さん委員会/編
岐阜県の自治体警察定員数は894名なので、M1911の配分は894丁。
また「大垣市警察五年の歩み」丹羽孝三/編には、大垣市警の備品一覧表に「けん銃コルト 四五口径 九〇 制服用」「けん銃コルト 三八口径 一五 私服用」が掲載されている。本文には「新しく貸与されるけん銃(コルト、オートマチック」の貸与式が、同年(昭和25年)八月二九日会議室で行われ、大竹警察長より全署員に貸与せられ」とあり、小型けん銃に関しても「昭和二十六年二月、警察吏員の定員増加に伴い、小型けん銃を購入し貸与した」とある。大垣市警の定員は昭和25年の90名から昭和26年10月には105名に増えているから、小型けん銃(ディテクティブ)15丁は定員増加分に当てられ、M1911の返納は行われていないのがわかる。
愛知県
自治体警察は国警よりやや遅れ、名古屋市警察では二十五年三月九日、SW回転式四五口径百丁、つづいて五月十九日に同けん銃三千四百九十六丁の配分を受けた。また、その他の自治体警察には、コルト自動式四五口径千八百六十八丁が割り当てられた。
「愛知県警察史 第3巻」愛知県警察史編集委員会 編
愛知県においては名古屋市警のみS&W M1917、他の自治体警察はM1911となっており、M1911の数量は1868丁と明記されている。
愛知県の場合、規模第一位の名古屋市警が3596名であるのに対して、第2位の豊橋市警でも230名。また名古屋市警だけでそれ以外の自治体警察の合計の2倍近い。
こうした場合には以前にも書いたように、巨大市警とそれ以外では異なる銃が配分される事がある。後でも書くが大阪府も同様であり、おそらくは東京都も同じである可能性が高い。
ただし、45オートは45リボルバーよりも早期に退役が進んだようで、「愛知県警察史」には下記の記述がある。
なお、三十二年五月には、コルト自動式四五口径けん銃全部がSW回転式に統一された。
昭和32年の時点では、全国的に少なくとも45口径リボルバーの更新はまだ行われていないはずで、例えば兵庫県警の例を見ると、ニューナンブの最初の配分は昭和39年、そして45リボルバーの更新が本格的に始まったのは昭和40年代になってからの事である。
となると日本警察は45オートに関しては、45リボルバーに先駆けて昭和20年代から積極的に更新を図ったということになる。相当な数のM1911が供与されたにしては後の時代に影が薄くなるのは、M1911の退役が相当早い時期に進んだからであるのかもしれない。もちろん全てのM1911が早期に退役した訳でないのは明白だが。
また、45オートを更新する為には38リボルバーの新規購入が必要だったと思われるが、この部分がまだよくわからない。
石川県
石川県については、はっきりした資料は見つからなかった。
唯一手がかりとなるのは、「富山県警察史」に掲載されたけん銃強盗の記事である。この犯人は石川県の金沢市警広坂署の派出所から盗んだ銃で銀行を襲ったのだが、「自動式けん銃の操作を知らないため引き金をひいたが不発となり逮捕された」
写真も掲載されているが、M1911である。

「富山県警察史 昭和後期編」富山県警察史編さん委員会/編
以上からおそらくは石川県の自治体警察に配分されたのはM1911であった可能性が高いと思われる。
石川県の自治体警察の定員は金沢市警518名を筆頭に787名。石川県も金沢市警の存在が大きいが、この程度の規模ならば石川県全体が同一銃種であった可能性が高い。
ちなみに上に引用した富山県に関しては「富山県警察史」も含めて全く情報が発見できていない。
福井県
福井県に関してもはっきりした事はわからないが、「福井県警察史 第2巻」福井県警察史編さん委員会によれば、福井県警察のけん銃射撃大会は昭和40年以降に1チームのメンバーを「小型けん銃一人、四五口径けん銃一人、三八口径三人の計五人」と規定して、昭和48年以降(昭和63年まで記録あり)の大会記録では個人優勝を三八口径部門と四五口径部門に分けている事から、福井県に相当数の四五口径が存在したのは間違いない。
この四五口径が何を指すのかははっきりわからないが、おそらくはM1911であるように思う。
一応書いておくと、福井県自治体警察の定員は427名である。
という事で、ここまでで中部地方編をとりあえず終えることにする。
新潟県
なお、配分されたけん銃は、本県の場合国警警察官にはコルト三八口径回転式、自警警察吏員にはコルト四五口径自動式であった。
「新潟県警察史」新潟県警察史編さん委員会 編
新潟県の自治体警察の定員は1342名、M1911の推定配分数も1342丁となる。
長野県
同年(昭和24年)九月八日、国警分として警察官数九六二挺(S&W RV三八SPL)のけん銃が配分されたので、(略)同年(昭和25年)八月二〇日には、自警分として四五口径COLTAUTけん銃九二四丁が配分されてきた。(略)
(略)昭和二九年六月三日長野市警察署勤務巡査桜井信雄が、保管中の四五口径コルトオートマチックけん銃を盗難にかかるという事件が発生した。本年に入ってから六件目のけん銃事件であり、この拳銃を奪取した犯人が奪取けん銃で小県、埴科の両郡にわたり強盗を犯したので、問題は更に大きくなった。このため教養課は、総力を挙げてけん銃事故防止をはかることになり、教養課金木警部の指揮のもとに指導班二組を編成して、四五口径コルトオートマチックけん銃携帯者を県下八ヵ署に集め、全員に対して事故防止の巡回教養を実施した。そして昭和二九年一二月一五日付「務発第三二号けん銃弾薬の携行について」の指示により、常時装てんは中止する事になった。これによりけん銃事故は急激に減少し、三〇年は一件、三一年は二件、三二年はなしという成果を挙げることができた。
(略)これにより県下警察官の携帯けん銃は、
三八口径S&Wスペシャル回転式けん銃
三八口径コルトコマンド回転式けん銃
三八口径チーフスペシャル回転式けん銃
四五口径コルト自動式けん銃
の四種となった。
「長野県警察史 各説編」長野県警察本部,長野県警察本部警務部警務課 編
という事で、長野県の自治体警察に924丁のM1911が配分された。
二番目のパートでも長野市警が45オートを装備していた事が確認できる。当時は常時携行、常時装填の時代で、警察官は全弾装填した拳銃と予備弾を常に持ち歩かなければならず、仕事が終わったらそのまま自宅に持ち帰って自分で管理しなければならなかった。それによる事故や事件、そして盗難や紛失は現代では考えられないほど多かった。
三番目のパートは昭和30年当時の長野県警察の保有銃である。チーフスペシャルは昭和26年の新規購入分で、最初はなかったはずのコルトコマンドが増えているのは再配分によるものだろう。
ちなみに佐々淳行氏の「連合赤軍あさま山荘事件」では、連合赤軍があさま山荘に逃げ込む理由となった長野県警機動隊との遭遇戦において、長野県警機動隊員は2名がコルト45オート、1名がニューナンブで、合計6発を発射したと書かれている。
山梨県
なお配分されたけん銃は、本県の場合国警警察官にはレボルバー三八口径回転式・自治体警察吏員にはコルト四五口径自動式であった。
「山梨県警察史 下巻」山梨県警察史編さん委員会 編
一番上の「新潟県警察史」とほぼ同じ文章である。
警察史編纂時には先行する他の警察史を少なからず参考にする場合が多く、特に銃に関する事は何をどう書いていいのか判断するのを避ける意図があるのか「コピペ」で済ませる場合がある。「これと全く同じ文章をあちこちの警察史で見たぞ」という部分は存在する。そうした場合に、そもそもどれが最初の文章なのかは警察史の編纂された順を調べればわかるだろけれども、あまり意味はなさそうなのでそれはしない。
山梨県自治体警察の定員は362名、362丁のM1911が配分された事になる。
岐阜県
翌二八日(昭和24年7月28日)にはまず国家地方警察にSW回転式(三八口径)けん銃を、ついで翌二五年一月までに自治体警察に対しコルト自動式(四五口径)けん銃を配分した。
「岐阜県警察史 下巻」岐阜県警察史編さん委員会/編
岐阜県の自治体警察定員数は894名なので、M1911の配分は894丁。
また「大垣市警察五年の歩み」丹羽孝三/編には、大垣市警の備品一覧表に「けん銃コルト 四五口径 九〇 制服用」「けん銃コルト 三八口径 一五 私服用」が掲載されている。本文には「新しく貸与されるけん銃(コルト、オートマチック」の貸与式が、同年(昭和25年)八月二九日会議室で行われ、大竹警察長より全署員に貸与せられ」とあり、小型けん銃に関しても「昭和二十六年二月、警察吏員の定員増加に伴い、小型けん銃を購入し貸与した」とある。大垣市警の定員は昭和25年の90名から昭和26年10月には105名に増えているから、小型けん銃(ディテクティブ)15丁は定員増加分に当てられ、M1911の返納は行われていないのがわかる。
愛知県
自治体警察は国警よりやや遅れ、名古屋市警察では二十五年三月九日、SW回転式四五口径百丁、つづいて五月十九日に同けん銃三千四百九十六丁の配分を受けた。また、その他の自治体警察には、コルト自動式四五口径千八百六十八丁が割り当てられた。
「愛知県警察史 第3巻」愛知県警察史編集委員会 編
愛知県においては名古屋市警のみS&W M1917、他の自治体警察はM1911となっており、M1911の数量は1868丁と明記されている。
愛知県の場合、規模第一位の名古屋市警が3596名であるのに対して、第2位の豊橋市警でも230名。また名古屋市警だけでそれ以外の自治体警察の合計の2倍近い。
こうした場合には以前にも書いたように、巨大市警とそれ以外では異なる銃が配分される事がある。後でも書くが大阪府も同様であり、おそらくは東京都も同じである可能性が高い。
ただし、45オートは45リボルバーよりも早期に退役が進んだようで、「愛知県警察史」には下記の記述がある。
なお、三十二年五月には、コルト自動式四五口径けん銃全部がSW回転式に統一された。
昭和32年の時点では、全国的に少なくとも45口径リボルバーの更新はまだ行われていないはずで、例えば兵庫県警の例を見ると、ニューナンブの最初の配分は昭和39年、そして45リボルバーの更新が本格的に始まったのは昭和40年代になってからの事である。
となると日本警察は45オートに関しては、45リボルバーに先駆けて昭和20年代から積極的に更新を図ったということになる。相当な数のM1911が供与されたにしては後の時代に影が薄くなるのは、M1911の退役が相当早い時期に進んだからであるのかもしれない。もちろん全てのM1911が早期に退役した訳でないのは明白だが。
また、45オートを更新する為には38リボルバーの新規購入が必要だったと思われるが、この部分がまだよくわからない。
石川県
石川県については、はっきりした資料は見つからなかった。
唯一手がかりとなるのは、「富山県警察史」に掲載されたけん銃強盗の記事である。この犯人は石川県の金沢市警広坂署の派出所から盗んだ銃で銀行を襲ったのだが、「自動式けん銃の操作を知らないため引き金をひいたが不発となり逮捕された」
写真も掲載されているが、M1911である。

「富山県警察史 昭和後期編」富山県警察史編さん委員会/編
以上からおそらくは石川県の自治体警察に配分されたのはM1911であった可能性が高いと思われる。
石川県の自治体警察の定員は金沢市警518名を筆頭に787名。石川県も金沢市警の存在が大きいが、この程度の規模ならば石川県全体が同一銃種であった可能性が高い。
ちなみに上に引用した富山県に関しては「富山県警察史」も含めて全く情報が発見できていない。
福井県
福井県に関してもはっきりした事はわからないが、「福井県警察史 第2巻」福井県警察史編さん委員会によれば、福井県警察のけん銃射撃大会は昭和40年以降に1チームのメンバーを「小型けん銃一人、四五口径けん銃一人、三八口径三人の計五人」と規定して、昭和48年以降(昭和63年まで記録あり)の大会記録では個人優勝を三八口径部門と四五口径部門に分けている事から、福井県に相当数の四五口径が存在したのは間違いない。
この四五口径が何を指すのかははっきりわからないが、おそらくはM1911であるように思う。
一応書いておくと、福井県自治体警察の定員は427名である。
という事で、ここまでで中部地方編をとりあえず終えることにする。