今までの記事は全て「新拳銃」の時代以降について述べてきた。
今回は初めて「旧拳銃」関係の話となる。
まだ警察組織も国警と自治警に分かれる以前の戦前の警察制度を引き継いでいる時代の話である。
今までも何度か書いてきたが、旧拳銃とは1950年頃にアメリカ軍から警察官全員分の拳銃を供与される以前に戦後の日本警察が保有していた拳銃をさす。
それらは戦前から警察が保有していた銃もあれば、戦後軍から移管された銃や民間から回収した銃(軍から流出した物も含めて)や警察官個人の私物が含まれている。
こうした旧拳銃は、アメリカ軍に接収されてそのままになった物を除けば、日本国内に存在した全ての拳銃を掻き集めたもので、種類は多種多様にわたり、またほとんど使い物にならない老朽銃や故障中が含まれたり、弾薬が入手不可能な物などもかなり含まれていた。数量自体も警察官数と比較すれば非常に少ない。
全国におけるけん銃の配分は警察官五人に一挺の割合で、けん銃の種類も一七〇数種に及んだ。
「和歌山県警察史」和歌山県警察史編さん委員会 編
ちなみに上に挙げた「警察官五人に一挺」というのは全国平均の数字で、都道府県によってその状況はまったく異なっており、警察官全員分の拳銃を確保していた県もあれば、一方で全く拳銃を保有していない県さえあったようである。
警察官全員分の拳銃を確保していた県は二つあり、一つは三重県、もう一つが今回取り上げる青森県である。
では「青森県警察史」から引用しよう。
終戦直後の本県警察装備の中で、他府県に例を見ないほど充実していたのは拳銃であった。警察官定員千百四十六人に対し千丁の拳銃を所有していた。その大部分は、旧軍隊から引き継ぎを受けた軍用拳銃で、種類は十四年式、九四式、プロ-ニングなど多種多様であったが、このように大量の拳銃を保有していたのは、東北では本県だけであった。
(略)しかし警察官が拳銃で武装することには、全国に消極論が強く、ほとんどの府県では拳銃の携帯を見送った。もっとも、各府県の拳銃保有数は微々たるもので、武装が認められたというものの、全警察官に携帯させ得るほどの数量はなかった。中には終戦直後、連合軍からの接収を警戒し、保有拳銃を自発的に廃棄していたところもあり、全国の拳銃装備は極めて僅少なものであった。
このような情勢下において、本県では警察官の定員に近いほぼ同数の拳銃を保有していたわけである。連合軍の進駐に際しては、拳銃操作に習熟していた警察官に拳銃を携帯させて警備につかせ、連合軍進駐後は、正規に許可を受けて保有を続けた。各督察署には警察官二人に一丁の割合で配備し、残りは警務課で保管した。各警察署では、連合軍施設の警備その他特殊勤務に従事するに際し、その都度貸与して携帯させた。拳銃携帯の警察官には、英文と和文で携帯の趣旨を印刷した警察部長発行の拳銃携帯証明書を交付、所持させた。本県の拳銃装備は、必要によって携帯するもので、また全警察官が常時携帯するという体制ではなかったので、本格的な装備とはいえないが、他県に比べて格段と充実したものであった。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
もともと拳銃を最も大量に装備していたのは言うまでもなく軍であり、その拳銃がそのまま直接引き継がれれば警察は大量の拳銃を入手する事ができる。軍の拳銃が警察の保有になる過程には様々なルートがあるが、三重県も含めて大量の銃を入手できた例は、直接の移管がうまくいった場合である。
とは言え、ここまでならまあまだ普通である。ラッキーだったねで済む。
青森県の場合はここからが普通ではない。
さらに本県では拳銃装備の充実を図るため、次のような措置もとった。すなわち、戦後、復員軍人や民間人の中には拳銃や弾薬を保持する者が少なくなかった。GHQの民間武器回収指令によって、拳銃等の所持が禁止されると、続々と警察に回収された。これらの拳銃をそのまま連合軍に引き渡すと、入手径路や回収の遅れを追及されて、提出者が不法所持として処罰されるおそれもあった。このため村井順警察部長は、連合軍に引き渡すことをせず、警察保管の不良拳銃と交換し、不良拳銃はひそかに廃棄する措置をとらせた。拳銃・弾薬の保管および使用状況については連合軍の監視は厳しく、警務課ではその実態を毎週軍政部へ報告しなければならなかったが、当初は数量の報告だけでよかった。
当時、本県警務課において装備係として拳銃関係を担当していたのは森貞広巡査であった。森巡査は、交換した不良拳銃や定量を超えた弾薬などをリュックに入れ、深夜青森港岸壁から投棄したという。軍政部の方針には反していたが、このような措置によって本県警察の拳銃は、次々と性能の優れたものが加えられ、また種別も制服警察官用として、軍用拳銑の中では最も性能が優れていた十四年式、私服警察官用としてブローニングにおおむね統一することができた。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
という訳で、民間からの回収拳銃のうち状態のいい物を選んで帳簿外として、手持ちの拳銃のうち状態の悪い物と交換したのである。そして交換された、状態の悪い帳簿外の拳銃は青森港に夜陰にまぎれてドボンである。
いかにも昭和20年代前半のカオスで日本政府よりGHQの顔色を伺わなければならなかった時代状況を示している。
ちなみに「制服警官用に十四年式、私服警官用にブローニング」という組み合わせは、当時まとまった数が入手可能な銃としては、おそらくベストな組み合わせで、絶大な政治力を行使して破格の数量の拳銃を確保した警視庁と同じ組み合わせである。
なんにせよ、これは他県からは想像もできない羨ましい状況であり、事情を知っていれば「捨てるくらいならうちに回してくれ」と言いたいくらいだったろう。
なので、青森県も他の東北5県に余った拳銃を分けてあげる事になる。
そのころ他県では拳銃の装備が進まず、昭和二十一年春の東北六県警察部長会議では、このことが話題となった。そこで村井本県警察部長は、自発的に本県保有拳銃の一部譲渡を申し出て、軍政部の了解をとりうけた後、数百丁を各県に譲渡した。この結果、同年五月、山形県では初めて八十丁の拳銃を装備したという。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
この点については「山形県警察史」にも一応記述がある。
(略)このようにして本県警察部に最初に引き渡されたけん銃は、旧軍用一四式けん銃と将校用ブローニングなど八〇丁であったといわれる。その点について昭和二一年五月一九日付山形新聞は次のように報じている。
警官にピストル
長サーベルを捨てた警察官にピストルという進駐軍の斡旋で、こんど青森県から、八〇丁が県警察部に届けられたもので、早速操作、手入れの講習会を開いて各署に配分する。(略)
「山形県警察史 下巻」山形県警察史編さん委員会 編
引用の新聞記事では「青森県から」という言葉が一応あるが、警察史の本文にはそのような記述はなく、貰う側の山形県警としては複雑な心理があったのかもしれない。
ちなみに山形県警が、それ以前に拳銃を全く装備していなかったのかは疑問がある。
国立公文書館のデジタルアーガイブ(http://www.digital.archives.go.jp/)には「警察官吏拳銃帯用に関する件認可案(山形県知事)」という文書が存在し、昭和11年に山形県警が内務省宛てに「モーゼル 十連発」15丁の帯用申請を出しているのがわかるので、戦前の山形県警が拳銃を保有していた可能性は高い。
「山形県警察史」にはこのへんの記録はないが、あるいは「青森県警察史」にある「中には終戦直後、連合軍からの接収を警戒し、保有拳銃を自発的に廃棄していたところもあり」というのは山形県警を指しているのかもしれない。
また「福島県警察史」にも、これに関する記述がある。

本県でのけん銃保持の実態について述べることにしたい。前述したように、GHQからけん銃使用や射殺権を認める覚書が出された昭和二十一年一月当時、本県の所有けん銃は、十四年式が六挺、二十六年式が二挺、その他回転式異種型が十六挺の合計二十四挺でしかなかった。一方の実包も十四年式用が百八十発、二十六年式用が僅か十発、しかも異種型けん銃用に到っては実包が一発もなかったのである。これでは、いくら使用や射殺権が認められても、警察官吏の職務遂行にほまったく役立たなかったというほかない。そこで本県では急遽青森県警察部から、同年五月十五日、十四年式けん銃百挺、実包三百発を借り受けることにした。
「福島県警察史 第2巻」福島県警察史編さん委員会
福島県警がもともと持っていたのは十四年式や二十六年式、および雑多なリボルバーが少数あっただけらしい。これらは銃種などから言っても、福島県警が戦前から保有していた物ではなく、戦後に何らかの形で入手した物である可能性が強い。
また福島県警についても昭和11年付の「警察官吏拳銃帯用に関する件認可案(福島県知事)」なる文書が国立公文書館のデジタルアーガイブに存在するが、これはどうも期間限定でどこか(達筆すぎて判別不能)から12丁の拳銃をレンタルして携帯する事を願い出ているようで、福島県が拳銃を購入するという話ではなさそうである。
そうなるとどうやら福島県も戦前は拳銃を保有していなかった可能性が高い。
こうして青森県は旧拳銃の時代、全国でも類を見ないほど充実した拳銃装備を誇っていた。
しかし、まもなく旧拳銃の時代は終わり、新拳銃の時代が来る。
全国の警察が保有していた旧拳銃全て国警に返納され、アメリカからの供与拳銃が全国の警察官に全員に貸与される。
青森県が特別だった時代は4年程度で終わった事になる。
最後に「青森県警察史」に記された昭和34年度末の保有拳銃数を引用する。
青森県に配分されたのが国警も自治警もS&Wのリボルバーであったことは間違いないが、それ以上の事は現時点ではわからない。
SW 4インチ934丁、同5インチ209丁、チーフススペシャル2インチ104丁、ブローニング70丁、コンバットマスターピース1丁、計1318丁であった。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
今回は初めて「旧拳銃」関係の話となる。
まだ警察組織も国警と自治警に分かれる以前の戦前の警察制度を引き継いでいる時代の話である。
今までも何度か書いてきたが、旧拳銃とは1950年頃にアメリカ軍から警察官全員分の拳銃を供与される以前に戦後の日本警察が保有していた拳銃をさす。
それらは戦前から警察が保有していた銃もあれば、戦後軍から移管された銃や民間から回収した銃(軍から流出した物も含めて)や警察官個人の私物が含まれている。
こうした旧拳銃は、アメリカ軍に接収されてそのままになった物を除けば、日本国内に存在した全ての拳銃を掻き集めたもので、種類は多種多様にわたり、またほとんど使い物にならない老朽銃や故障中が含まれたり、弾薬が入手不可能な物などもかなり含まれていた。数量自体も警察官数と比較すれば非常に少ない。
全国におけるけん銃の配分は警察官五人に一挺の割合で、けん銃の種類も一七〇数種に及んだ。
「和歌山県警察史」和歌山県警察史編さん委員会 編
ちなみに上に挙げた「警察官五人に一挺」というのは全国平均の数字で、都道府県によってその状況はまったく異なっており、警察官全員分の拳銃を確保していた県もあれば、一方で全く拳銃を保有していない県さえあったようである。
警察官全員分の拳銃を確保していた県は二つあり、一つは三重県、もう一つが今回取り上げる青森県である。
では「青森県警察史」から引用しよう。
終戦直後の本県警察装備の中で、他府県に例を見ないほど充実していたのは拳銃であった。警察官定員千百四十六人に対し千丁の拳銃を所有していた。その大部分は、旧軍隊から引き継ぎを受けた軍用拳銃で、種類は十四年式、九四式、プロ-ニングなど多種多様であったが、このように大量の拳銃を保有していたのは、東北では本県だけであった。
(略)しかし警察官が拳銃で武装することには、全国に消極論が強く、ほとんどの府県では拳銃の携帯を見送った。もっとも、各府県の拳銃保有数は微々たるもので、武装が認められたというものの、全警察官に携帯させ得るほどの数量はなかった。中には終戦直後、連合軍からの接収を警戒し、保有拳銃を自発的に廃棄していたところもあり、全国の拳銃装備は極めて僅少なものであった。
このような情勢下において、本県では警察官の定員に近いほぼ同数の拳銃を保有していたわけである。連合軍の進駐に際しては、拳銃操作に習熟していた警察官に拳銃を携帯させて警備につかせ、連合軍進駐後は、正規に許可を受けて保有を続けた。各督察署には警察官二人に一丁の割合で配備し、残りは警務課で保管した。各警察署では、連合軍施設の警備その他特殊勤務に従事するに際し、その都度貸与して携帯させた。拳銃携帯の警察官には、英文と和文で携帯の趣旨を印刷した警察部長発行の拳銃携帯証明書を交付、所持させた。本県の拳銃装備は、必要によって携帯するもので、また全警察官が常時携帯するという体制ではなかったので、本格的な装備とはいえないが、他県に比べて格段と充実したものであった。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
もともと拳銃を最も大量に装備していたのは言うまでもなく軍であり、その拳銃がそのまま直接引き継がれれば警察は大量の拳銃を入手する事ができる。軍の拳銃が警察の保有になる過程には様々なルートがあるが、三重県も含めて大量の銃を入手できた例は、直接の移管がうまくいった場合である。
とは言え、ここまでならまあまだ普通である。ラッキーだったねで済む。
青森県の場合はここからが普通ではない。
さらに本県では拳銃装備の充実を図るため、次のような措置もとった。すなわち、戦後、復員軍人や民間人の中には拳銃や弾薬を保持する者が少なくなかった。GHQの民間武器回収指令によって、拳銃等の所持が禁止されると、続々と警察に回収された。これらの拳銃をそのまま連合軍に引き渡すと、入手径路や回収の遅れを追及されて、提出者が不法所持として処罰されるおそれもあった。このため村井順警察部長は、連合軍に引き渡すことをせず、警察保管の不良拳銃と交換し、不良拳銃はひそかに廃棄する措置をとらせた。拳銃・弾薬の保管および使用状況については連合軍の監視は厳しく、警務課ではその実態を毎週軍政部へ報告しなければならなかったが、当初は数量の報告だけでよかった。
当時、本県警務課において装備係として拳銃関係を担当していたのは森貞広巡査であった。森巡査は、交換した不良拳銃や定量を超えた弾薬などをリュックに入れ、深夜青森港岸壁から投棄したという。軍政部の方針には反していたが、このような措置によって本県警察の拳銃は、次々と性能の優れたものが加えられ、また種別も制服警察官用として、軍用拳銑の中では最も性能が優れていた十四年式、私服警察官用としてブローニングにおおむね統一することができた。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
という訳で、民間からの回収拳銃のうち状態のいい物を選んで帳簿外として、手持ちの拳銃のうち状態の悪い物と交換したのである。そして交換された、状態の悪い帳簿外の拳銃は青森港に夜陰にまぎれてドボンである。
いかにも昭和20年代前半のカオスで日本政府よりGHQの顔色を伺わなければならなかった時代状況を示している。
ちなみに「制服警官用に十四年式、私服警官用にブローニング」という組み合わせは、当時まとまった数が入手可能な銃としては、おそらくベストな組み合わせで、絶大な政治力を行使して破格の数量の拳銃を確保した警視庁と同じ組み合わせである。
なんにせよ、これは他県からは想像もできない羨ましい状況であり、事情を知っていれば「捨てるくらいならうちに回してくれ」と言いたいくらいだったろう。
なので、青森県も他の東北5県に余った拳銃を分けてあげる事になる。
そのころ他県では拳銃の装備が進まず、昭和二十一年春の東北六県警察部長会議では、このことが話題となった。そこで村井本県警察部長は、自発的に本県保有拳銃の一部譲渡を申し出て、軍政部の了解をとりうけた後、数百丁を各県に譲渡した。この結果、同年五月、山形県では初めて八十丁の拳銃を装備したという。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編
この点については「山形県警察史」にも一応記述がある。
(略)このようにして本県警察部に最初に引き渡されたけん銃は、旧軍用一四式けん銃と将校用ブローニングなど八〇丁であったといわれる。その点について昭和二一年五月一九日付山形新聞は次のように報じている。
警官にピストル
長サーベルを捨てた警察官にピストルという進駐軍の斡旋で、こんど青森県から、八〇丁が県警察部に届けられたもので、早速操作、手入れの講習会を開いて各署に配分する。(略)
「山形県警察史 下巻」山形県警察史編さん委員会 編
引用の新聞記事では「青森県から」という言葉が一応あるが、警察史の本文にはそのような記述はなく、貰う側の山形県警としては複雑な心理があったのかもしれない。
ちなみに山形県警が、それ以前に拳銃を全く装備していなかったのかは疑問がある。
国立公文書館のデジタルアーガイブ(http://www.digital.archives.go.jp/)には「警察官吏拳銃帯用に関する件認可案(山形県知事)」という文書が存在し、昭和11年に山形県警が内務省宛てに「モーゼル 十連発」15丁の帯用申請を出しているのがわかるので、戦前の山形県警が拳銃を保有していた可能性は高い。
「山形県警察史」にはこのへんの記録はないが、あるいは「青森県警察史」にある「中には終戦直後、連合軍からの接収を警戒し、保有拳銃を自発的に廃棄していたところもあり」というのは山形県警を指しているのかもしれない。
また「福島県警察史」にも、これに関する記述がある。

本県でのけん銃保持の実態について述べることにしたい。前述したように、GHQからけん銃使用や射殺権を認める覚書が出された昭和二十一年一月当時、本県の所有けん銃は、十四年式が六挺、二十六年式が二挺、その他回転式異種型が十六挺の合計二十四挺でしかなかった。一方の実包も十四年式用が百八十発、二十六年式用が僅か十発、しかも異種型けん銃用に到っては実包が一発もなかったのである。これでは、いくら使用や射殺権が認められても、警察官吏の職務遂行にほまったく役立たなかったというほかない。そこで本県では急遽青森県警察部から、同年五月十五日、十四年式けん銃百挺、実包三百発を借り受けることにした。
「福島県警察史 第2巻」福島県警察史編さん委員会
福島県警がもともと持っていたのは十四年式や二十六年式、および雑多なリボルバーが少数あっただけらしい。これらは銃種などから言っても、福島県警が戦前から保有していた物ではなく、戦後に何らかの形で入手した物である可能性が強い。
また福島県警についても昭和11年付の「警察官吏拳銃帯用に関する件認可案(福島県知事)」なる文書が国立公文書館のデジタルアーガイブに存在するが、これはどうも期間限定でどこか(達筆すぎて判別不能)から12丁の拳銃をレンタルして携帯する事を願い出ているようで、福島県が拳銃を購入するという話ではなさそうである。
そうなるとどうやら福島県も戦前は拳銃を保有していなかった可能性が高い。
こうして青森県は旧拳銃の時代、全国でも類を見ないほど充実した拳銃装備を誇っていた。
しかし、まもなく旧拳銃の時代は終わり、新拳銃の時代が来る。
全国の警察が保有していた旧拳銃全て国警に返納され、アメリカからの供与拳銃が全国の警察官に全員に貸与される。
青森県が特別だった時代は4年程度で終わった事になる。
最後に「青森県警察史」に記された昭和34年度末の保有拳銃数を引用する。
青森県に配分されたのが国警も自治警もS&Wのリボルバーであったことは間違いないが、それ以上の事は現時点ではわからない。
SW 4インチ934丁、同5インチ209丁、チーフススペシャル2インチ104丁、ブローニング70丁、コンバットマスターピース1丁、計1318丁であった。
「青森県警察史 下巻」青森県警察史編纂委員会 編