前に、データを貸した話を書きましたが、その後の報告です。
あの時、研究室の友だちに「直接使い方を聞くべき&気持ちを言うべき」と言われ、そして、コメント欄でも、それはおかしいというご意見をもらって、勇気を出して、ご本人に、貸したデータをどのように使うのかをメールで尋ねました。(メールで、っていうのが小心者ですが。)
なぜそんなことを聞くのかというと、使い方によっては、データを盗まれた?・・・というふうにも考えられて、モヤモヤした気持ちが晴れないからという、正直な気持ちも伝えました。
ご本人からは、直接会った時に回答をもらいました。
心配かけてすみませんという言葉と、自分でも同じ分析をしていて、分類がわからない時に参照していますとの返事でした。
とりあえず、その言葉を聞けて、ホッとしました。
発表は無事、終わったようです。
先日、発表の際の資料をいただきました。
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わたしの発表資料の引用はありませんでした。
スペースの問題などで、発表資料の引用なんていらない等、先生に言われたのかもしれません。
同じ分析をしているのですが、わたしの資料はいれずに、先行研究の枠組み(わたしも分析した手法)を使うことしか書いていませんでした。
もう、過去のことだから、どうでもいいんですけどね、ちょっと、悲しくなりました。
そもそも、分析データを借りる・貸す行為自体がおかしいのだと思うし、貸さなければ、たとえ引用されていなくても、気にならなかったと思うから、ある意味、自業自得なんだと思いました。
共同研究は、構想段階からいろいろ情報を共有しているぶん、個人の領域の境界がわかりにくく、本当に難しいと感じています。
自分一人の研究のほうが、孤独だけど、いろんな意味で楽・・・。
研究だけでなく、作家やアーティストなどもそうでしょうが、評価はプロセス抜きに、結果を見てされるので、実は、個々のプロセスに、どろどろとした物語があったりして・・・と変な妄想もしちゃってます。
とにかく、これで一区切りついた、・・・一区切りつけたいと思います。